細田悟一 a.k.a 一目山人 (相模太郎)
一目均衡表というインジケーターをご存知でしょうか?
MT4などの為替や株のプラットフォームでは必ずあるインジケーターの一つです。
これの開発者である「一目山人(細田悟一)先生」について調べましたので、記載します。
細田悟一 a.k.a 一目山人
「一目山人」というのはペンネームであり、本名は「細田悟一」という方です。
戦前は「相模太郎」というペンネームでしたが、戦後は「一目山人」に変更して活動していました。
細田 悟一(ほそだ ごいち、1898年 - 1982年)は、日本の株式評論家。一目均衡表の考案者として知られる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E7%94%B0%E6%82%9F%E4%B8%80
著書
7つの著書を発表しています。
最初の一目均衡表は1975年に発表しています。
1898年生まれであることから、77~78歳で最初の著書を発表したことになります。
一目均衡表(1975年3月)
一目均衡表 完結編(1976年7月)
一目均衡表 週間編(1975年3月)
わが最上の型譜(1977年11月)
一目均衡表 真技能編(1981年12月)(絶版)(国立国会図書館)
一目均衡表 綜合編(1979年6月)(絶版)(国立国会図書館)
一目均衡表 綜合編 後編(1980年5月)(絶版)(国立国会図書館)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E7%94%B0%E6%82%9F%E4%B8%80
来歴
細田悟一先生は1898年に山口県豊田町西市で誕生しました。
元々は都新聞の新聞記者であり、1936年(33歳の頃)に「新東転換線」を発表しました。
そこからさらに39年後の1975年に「一目均衡表」を出版し発表したようです。
都新聞に株式・商品市場担当記者として勤め、商況部長として活躍する。1936年、7年の歳月と延べ2000人の人手をかけた成果である新東転換線(後の一目均衡表)を発表する。記者業の傍ら日本証券新聞等に寄稿し、退職後も評論活動を続ける。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E7%94%B0%E6%82%9F%E4%B8%80
ということであの一目均衡表の開発者である「一目山人(細田悟一)」に関して調べてみました。
参考にしてください。
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