ダンテ「神曲」地獄篇第6歌〜ケルベロス〜
今日は昼過ぎからサイゼリヤにいたのですが、お酒の入った大人女子会の談笑が5時間くらいサイゼリヤ中に響き渡っていました。
そんな中、私はというとDante Alighieri著「La Divina Commedia」(イタリア語&日本語訳)を読み進めていました。
イタリア語は今も昔もほとんど変わらないので、日本語の古文に比べたらはるかに読みやすく楽しいです(°▽°)
大抵の方が馴染みのない内容だと思いますので、ぜひ肩の力を抜いて読んでくださいね!
ケルベロスとは
3つの頭を持つ、巨大な怪物ケルベロス。簡単に言うと「地獄の番犬」です。
ケルベロスの語源は、ギリシャ語に由来します。
「κρεας」(クレオス、肉)+「βορός」(ボロス、むさぼり食う)→肉をむさぼり食うもの、という意味です。
また、ケルベロスは土の比喩で表されることもあり、死体は土に還るという理由からそう言われています。確かに、死体は土に埋めるもんね…。
神曲では、ケルベロスには2つのイメージがあり、①大食(貪欲)と②社会の軋轢(あつれき)があります。ここでは①について軽く解説します。
食悦は死に至る大罪である
前回の記事で《イサクの犠牲》という絵画が出てきましたが、その息子エサウにまつわるこんな話があります。
また、一杯の食のために(双子の弟ヤコブに)長子の権利を売ったエサウのように、不品行な俗悪な者にならないようにしなさい。
〜日本聖書教会編訳『ヘブル人への手紙』12,16〜『創世記』25,29-34参照
ある日、超ペコペコにお腹が空いていたエサウは、弟ヤコブお手製の豆煮と引き換えに「長男の権利を譲る」と言ってしまったそうな。
その後、一家の長男として祝福されなかったエサウは、なんと弟ヤコブを殺そうとしたらしいです。うーん、エサウの気持ちも分かるけど、いくらお腹が空いていたって、ちゃんと後先考えてから言わないとね!
エサウは食悦の罪が原因で涜神者*(神の神聖をけがす者)と言われる。なぜなら、食べ物のために長子の権利を売ったエサウにおいて、食物への渇望に目が眩んで理性が余りに無秩序になっているからである。エサウは、ある意味、食物の悦楽を至高の目的*(=神)として渇望しているように見られたからである。
〜トマス・アクイナス『主要悪徳について』
q.14,a.2,ad.1〜
トマス・アクイナスは、この『主要悪徳について』の中で、「食悦は死に至る大罪である」と何度か断言しています。
3つの喉と食欲
ダンテはケルベロスの説明として、「tre bocche」(3つの口)ではなく「tre gole」(3つの"喉")と表現しています。gola、つまり食道というわけです。
これに関して、トマス・アクイナスは
《人間のすべての労苦は自身の口のためである》と『伝道の書(コヘレトの言葉)』(6,7)で言われているように、人間の生活のほとんどすべての労苦が食物に対して向けられている。しかしながら食道(喉)は、食物それ自体よりも遙かに食物の悦楽を目的としているように思われる。
〜トマス・アクイナス『神学大全』Ⅱ-Ⅱ,q.148,a.5〜
と記しています。
食べることが悪いことというわけではなく、食悦で欲求が止まってしまうのは、人間として生きる上でもったいない、とダンテやトマス・アクイナスは考えているのかもしれません。
↑マズローの欲求5段階説を簡潔に表したもの
食欲は生理的欲求であり、このピラミッドでいう最下層に当たります。
食欲を満たすことはもちろん大切です。しかし、より高次な欲求を満たしていくことで、私たちはより高い幸福感を得られると考えます。
せっかく人として生まれてきたのだから、私も食べることで幸せを感じるだけでなく、何か社会的価値を生み出すことによって、より大きな幸せを得たいものです。
あれ、でも今日って神曲読むかサイゼで食べ続けてた印象しかない…
↑筆者が今日サイゼリヤで食べたもの一覧
久々に食べたら美味しくて、つい食べ過ぎました笑
サイゼリヤさんありがとうございました。
それでは、またお会いしましょう*°
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