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2024年は二十四節気サイクルで動いてみる

こんにちは。2024年が始まりましたね。
年始からいろいろなことにそれぞれが向き合い、日々をお過ごしかと思います。

私はというと、noteから「1月に1本記事をあげると連続投稿が延びるよ」と律儀にアナウンスしていただき、お知らせを見たときはやる気が起きるも、なかなか書く気になれずの月末。なんだか体と心がうまくかみ合っていないというか、重たい感覚から抜け出せない状況が続いています。

なんとなく理由はわかっているのです。それは「朝起きる時間が遅いから」だということを。もちろん、他にも理由はあるし(例えば、夜食べる時間が遅いとか、運動不足とか、諸々)挙げればきりがないのですが、やっぱり「サイクル」って、私たちが思っている以上に影響が大きい気がします。

今日届いたメルマガに、今私が書いていた内容を完結に表現していることばがありました。

【安定した軸とは、ひとことでいうと習慣のこと。規則正しい、生活のことです。】

そうですよね。わかってはいるんです。なんとか自然と生活サイクルを整えようと、寒さ対策のためにしていた遮光カーテンもやめてはみたのですが、恐ろしいことに、この家に引っ越してから日の光とともに目覚める=寝るのが遅いため、必然的に睡眠時間が少なくなるくらい、目覚ましをせずとも7時前には目が覚めていたのに、遮光カーテンと睡眠時間重視を掲げてから3か月くらいかな?今ではすっかり寝起きが悪くなりました。これもある意味習慣です。おかげで睡眠時間は増えつつあるものの、体感は重くなる一方。

思えば、昨年12月あたりから、どうにも世間の時間の流れと、私の体感覚がしっくりこない。年末、もうすぐ新年、とはわかっているものの、どこかスローで立ち止まる感覚で過ごしていました。年が明ければ、いやでもスイッチが入るだろうと期待していたものの、社会の空気に刺激され、なんとなく切り替えはできてはいるものの、まだどこか足踏みしているのです。あと一歩がやりきれないもどかしさというか。バケットリストも今月中に作るつもりだったのに、いまだ手も付けられていないし。

正直、私は「やる!」と決めたら動けるタイプではあるので、この何とも言えないモヤモヤした感覚がどうも腑に落ちない。

と、ここへきて、今noteを書き出したら止まらないため、今ならなんとなくしっくりくる答えが出るかもと思って、書きながら考えていて、行き着いた答えが、今回のタイトルです。
※ちなみに、最初に書いたタイトルは「正しさと公平さとあやうさと」でした。書き出したら全くかすりもしない内容になるという、私あるある。

実は、今年の立春からInstagramで二十四節気や日本文化を発信する専用アカウントを立ち上げようと考えていたんです。きっかけは、まわりからほめてもらえることが多い「書」を日常的に発信したかったからなのですが、それだけだと、更新が億劫になるだろうと予想がつくため、この時期には、といったそれこそサイクルが決まっているものを取り入れた方が続けやすいな、と思い、行き着いたのが二十四節気七十二候といった、季節のサイクルでした。新月満月でもいいかな、と思ったのですが、こちらは私の周りの友人含め、今ではかなりの人が発信しているため、十分世の中に浸透してますし、私の手札として持っている「書」「茶道」「着物」などの和文化には、和暦の方が相性もいいですし、今年はそのサイクルを私の日常に取り入れながら、感じたことを発信しようと考えていたところだったのです。

ということで、都合よく解釈すると、私にとってはまだ新しい年はスタートしていないということで、今くらいからやっとエンジンがかかってきました。よかったよかった。noteを書いてみたおかげです。

とりあえず、乱筆ですが、一旦本日中に記事をアップします。
何せnoteさんが継続フラグを立ててくれたので。継続こそ習慣の第一歩。



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