「かわいい」を掘り下げてみたら「扁桃体ハイジャック」にぶち当たった
前に上げた記事が思っていない方向に進んでしまったので、一旦区切って仕切り直すことにしました。
https://note.com/preview/n4e3b3a02e7dd?prev_access_key=a33f60c8f38ba7dce818373360580e07
改めて「かわいい」という言葉について、私の内なる思いに出会うべく掘り下げてみたいと思います。
「かわいい」って言われる子、憧れてましたね。容姿を褒められる子、私も人並みに羨ましく思っていました。余談ですが、私の仲良いお友達はかわいい子が多かったんです。だから余計、羨ましいのと同時に、無意識のうちに同じ土俵にあがらないようにしていたのかもしれません。
引き寄せの法則ってありますよね。類は友を呼ぶ、みたいな感覚でこの法則を解釈した場合、私の周りにかわいいお友達が多ければ「私もかわいいんだ!」って思うこともできたのに、残念ながらそうはならなかったです。なぜなら、私は同じ土俵にあがっていないから。自らがそのチャンスを手放していたんです。
勝てない試合はしない、みたいな「逃げ」の姿勢、かわいい子たちと同じポジションを求めて全力で努力したにも関わらず、思うような結果が得られず傷つくことを恐れる防衛本能が働いていたのだと思います。この防衛本能は「爬虫類脳」と呼ばれるものとも関係しているんじゃないかな、と思う。
若いときを振り返ると、過酷な環境だと感じます。人生のスタートラインが同じ人たちと、ひたすら比較されながら己を見つめていく…。心をすり減らすことも多かったはずです。その分、ある意味人より優れたところに気付けるチャンスもあるため、どういったことに焦点を合わせるかで行動もおのずと変わってくるのが顕著なのがこの時期だったなぁーと今になると思います。
そんなことを思って改めて振り返ると「かわいい」と評価される子たちは、決まってマーケティング能力が高かったと感じてきました。もちろん、生まれながらのギフトを受け取っている子も世の中たくさんいますが、「かわいい」はマネジメントできるとも思うんです。かわいくありたいと努力する姿勢、その行動こそが「かわいい」なのだと思います。(ここでの「かわいい」は「かわいいと言われる」ということの略なので、すべて「他者評価」のことを指しています。)人から「かわいい」と言われることを意識する、その姿勢が何より「かわいい」には必要なんだと思います。
ちなみに私は、この「他者評価」を嫌う傾向が強く、人からの評価に反発する意識が過剰にありました。その反動からなのか、「自分らしく」という言葉が常に優先順位の上位をキープし続けていました。そして、その姿勢が「センスがいい」や「おしゃれ」であることだと自分の中で紐づけされていて、ひたすらその理想に向かって突き進んでいました。(それは正直今でも変わっていないです。ただ、過剰さは多少薄れたとは思いたい。)
そんな私でも、今ならわかるんです。「かわいい」という他者評価が、どれだけ自分を生き生きとさせてくれるのか。その言葉をかけられることで、今度は「自信」というかたちで内側からも輝きを放つ要素につながります。周りの人もかわいい人と一緒にいると、気分が高まりますよね。かわいいということには、人を喜ばせるエネルギーが確かにあるんです。
いいとこずくめの「かわいい」を、私は無意識に作動していた防衛本能で拒否してここまで生きてきました。これこそ俗にいう「扁桃体ハイジャック」というものなのかもしれません。
※ちなみに、「扁桃体ハイジャック」という言葉は、爬虫類脳のことを調べていて今回初めて知りました。
「かわいい」を掘り下げてみたら、最終的に脳の働きに行き着きました。これ以上掘り下げると、ぬかるみにはまりそうなので、今回はここまで。