泳げるからと言って、溺れないわけではない。しかし、溺れない人は泳げるのである
日本では夏になると、水辺での悲惨な事故が多く発生します。以前ハワイの伝説的なライフガードにお会いする機会があり、こんな話をお聞きしました。ハワイに来る日本人はとても泳ぎが上手いのに、良く溺れるという。それはなぜか、泳げるからこそ油断をしており。気づいたら自分の力では戻れないポイント、波のパワーにやられるのだそうです。
日本は習い事の上位に水泳があるにも関わらず、水辺でのリスクマネージメントスキルが低いです。それは言わば、泳ぐための教育を学校やスイミングスクールで率先して行ってしまうことによる海に対しての慢心なのではないか。と、ライフガードのお話を聞いて再認識しました。
人は本来未知なるもの、自分の力では抗えない存在には近付きません。ギリギリのスリルを味わいたいのであればそれなりの準備をして接するはずです。自分は泳げる技術があるから、自然というスリル満点のフィールドにも対応できると。多くの【泳げる】人たちは錯覚しているのではないでしょうか。
【泳げる】と【溺れない】は決して同義ではありません。【泳ぐ】とは、プールという決められた人工物の中で自分の存在をいかに魅せるか、または他者と競う為に特化した技術になりつつあります。一方【溺れない】とは、自分の生命をいかに延命させるか。いわばサバイバルスキルです。
例えばあなたが富士山に登りたいとして、地図もある。休憩するポイントや食事をするポイントもある。日帰りで行けると聞く。よし、行こうと思い立った時。夏だからと言って半袖短パンで行くでしょうか。適当な靴を履いてスマフォと軽食とペットボトルだけ持って、好きな人とデートがてら行くでしょうか。
山の登り方は小学生の時には習いません。だからこそ、未知なものに対してはしっかりと情報を収集し万全の準備をしてくはずです。海も自然であり、人間の力では抗いようのない存在であるはずなのに、幼少期の中途半端な教育が逆に海に対してのリスク管理を低下させていることがこの問題の根本にあるのではないでしょうか。
【泳げるからと言って、溺れないわけではない。しかし、溺れない人は泳げるのである】何を優先させるかは明確です。この問題が解決されることを願うだけではなく、その為に何が必要か考え小さな事でも一つずつ実行し続けていきたいと思います。
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