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10年前からつながる現在地


3.11のその瞬間10年前の今日、私は就職活動真っ只中でした。
大学は北海道でしたが、都内で就職活動したい大学の仲間を集め、埼玉でルームシェアをしていました。

3.11のその瞬間、その日

地震の瞬間、私は一人で部屋にいて、面接等ででかけていた友人達は都内から8時間かけて、歩いて帰宅してきました。
「よく帰ってきたな」とびっくりしたのと、よく知らない街に一人ぼっちだったので、夜中に友人が戻ってきて、やっと緊張がほぐれたのを覚えています。
その後、輪番停電では街の輪郭が真っ黒に浮かび上がった夕日がとても印象的でした。物流にも影響があり、ドラッグストアやスーパー、コンビニでは棚が空っぽ。例えば、「お酒が飲みたい」とコンビニを何件もはしごして、やっと見つけたり、普通じゃない日常がしばらく続いたんだっけ。
テレビではACのCMがひたすら流れてました。ポポポポーンって、何度も。
私はその頃Twitter中毒者だったので、Twitterに張り付いては情報収集や情報の拡散に勤しんでいました。今思えば、いくらかはデマの拡散もしてしまっていたかもしれない。
地震の後のFBでの最初の投稿は「地震速報のアラートもそうだけど、同時に出てくるMAPの断片地図が怖い。真っ赤に塗りたくられた日本地図を見る度に緊張感が高まる。」投稿日は2011/3/13。この投稿を見て、何日も安心できない日々が続いて、地震がきていないのに揺れる錯覚がしばらく続いたのを思い出しました。

みなさんはあの時、何を思いましたか?

皆さんは、3.11で世の中の動きが突然止まった時、どこで何をしたいと思ったでしょうか?
私は、「すぐさま実家に帰りたい」と思いました。家族のもとでゆっくりしたいなと。
私が"地元に戻りたい"という自分の気持ちを強く認識したのは、3.11がキッカケです。

その後すぐには戻れなかったですが、一昨年、30歳になる年に、私は地元秋田に戻る選択をしました。
震災から10年、その間も各地で災害が起こりました。いつかは自分の街にもくるかもしれない。その時、強く生きるためには、地域間の絆がとても大切だと感じました。

私が地元に戻って実現したいこと

私が大館で実現したいことの一つが、地域の"顔"として、沢山の人と関わりを持ちたいということです。
それは、何かあったときに、その地域の"顔"が一人でも浮かべてもらえるような街になると良いなという想いからです。どのような形になるかはわかりませんが、私はそのための場作りをしていきたいと考えています。

おわりに

10年前に「地元に戻りたい」と思いつつも、結果的に東京の会社に就職した自分が、あれから10年後の今は地元にいるというのもまた、1つの結果だよなと思います。
さらに10年後、2031年の日本・秋田・大館は、そして自分・家族はどうなっているんだろう。

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