私が進めたかった事
私自身、ソーシャルワーカーになったのは福祉に興味はあり知的障害者施設でボランティア参加していたが高校時代に母親の紹介で初めてその仕事を知った事、福祉系の大学に行き精神科や児童施設などで実習をしてきました。病院で勤めたかったので総合病院をソーシャルワーカーで希望し就職でき希望いっぱいでした、介護業務や送迎も手伝いながら入院説明、外来患者さんフォローで福祉事務所や自宅訪問しました。初めてソーシャルワーカーとして担当した方は名前も今でも覚えてます。
そういう時、ソーシャルワーカーをずっと応援してくれていた従兄弟が闘病中の中、亡くなりました。実はその連絡を受ける前日夢で枕元に出てきてくれました。ここまでの人生でもこういう経験はこの時だけで今も覚えています。そして職場で連絡を受け電話口、帰りの車中、特に告別式では人目はばからずたくさん止まらない涙を流しました。すごくショックが大きかったです。
それから地元に戻り病院勤務を続けてきましたが私の患者さんやご家族への気持ちが強すぎたのか特に上の立場の方と意見衝突で病院を点々としました。
私もご家族と直接話していない人にはわからないと意地になり自分が正しいと思い込んでいた事を反省しないといけないと感じました。それは自己満足が強くさらに人からの注意を素直に聞けなくなっていました。
そしていろいろ場面で衝突し怒られる事で理解を示してくれる方はいるもののフォローして貰える方はいなく、孤独孤立を感じ患者さんやご家族への依存が強くなっていったと思います。
相談している時間は私の落ち着く場所と時間であり、みなさんが笑って喜ばれる姿は私の喜びと幸せでした。
職場を変わっても相談業務、ソーシャルワーカーという仕事はとても好きで離れられない仕事でした。
私はたくさんの方と相談していく中で、ご家族間の意見相違、孤独孤立感を抱く方々、誰が見ても疲弊されてるのに自分自身に無関心で淡々と介護される姿、お金に困っているどうにもならなくなっている方
故人のご遺族が立ち直れない姿
私は介護される方の自身を追い込む様な心を沢山感じ取ってきました。
環境も違うので全て同じではなくても同じ様な思いを抱えて経験してきましたので私はその心の中の気持ちを一緒に共有して寄り添いたい、その一心でした。それが私のソーシャルワーカーの信念でした。
できる事、難しい事があるのは理解していましたがただ言葉でそれを伝えるだけでなく、他に方法はあるか、何か一緒に動ける事はないかを考え相談をしてきました。
ただ病院勤務の中で私の心の闇が広がる出来事、今までも定期的にありましたがある方から毎日3週間に渡る怒鳴り声や他のスタッフがいる中でも私自身否定する言葉を言われ私の心が完全に潰れ退職しました。これが私の最後の病院でのソーシャルワーカー勤務で終わりの瞬間でした。
私は今まで何をしてきたのだろう、そこまで私を否定される仕事だったのか、私はそこまでの人間だったのか、すごく悩み涙も流し考え疲れ果て眠れない心臓が痛くなる日々を過ごしました。その時に自分の目の前のご先祖様の写真、お地蔵様に心が止まり私の気持ちを吐き出し弱い私をいっぱい見せました、この時に自分は組織では働けない、もう心が持たない、自分にできる事したい事をゆっくり考えていました。答えは出ませんでした。そして少し前を向ける様になった時今まで頭になかった心理カウンセリングを勉強するという意識になりすぐに行動、3つのカウンセリング民間資格を取得しました。勉強の間今の自分の気持ちに通ずる事を感じながらしてきました。
その後、カウンセリングで事業立ち上げしました。
ですが広報や集客のノウハウがない私は事業がうまくいきません。体は動くのに気持ちもあるのにどうしてだろう、自分の気持ちが辛い、大きな声に心臓がドキドキする、まだ負った心にある傷は生傷としてあるのだろうか、だんだん気持ちが重くなる、今まで出来てた事も上手くできない、気分が沈む。働きたい、生活の心配は24時間無休で続く、それでも組織で働くそうなれない、結果私は何を目標に何を見て何をしたくて過ごしてきたのだろう
周りで支えてくれる人を振り回しただけなのだろうか。
私が実現したかった事の正反対になってしまったのだろうか。
今もずっとその思いは続く
私は今まで見てきた介護状況を支えるご家族に寄り添い不安な気持ちを常に一緒に感じていたかったです。
それの方法がカウンセリングでありソーシャルワークであり講演会開催でした。
そしてそんな状況から生まれてくる精神疾患や抱え込みによる孤独孤立、そして自死の選択
そういう方、高齢者介護者やお子様の介護者、後遺症などで障害負われた方やご家族、ビジネスケアラー、ヤングケアラーさん、それ以外のすべて悩み苦しく自死を考えようとしている方全ての方に常に気持ちを感じすぐ近くに寄り添ってくれる方がいる、いつだって気持ちを受け入れわかりあい話し合える人がいる社会になってほしいです。
そしていつの日かに喜び合い苦しんでいた方がまた別の方に寄り添い喜び合う、そんな社会を。
あなたの1番大切な方、ご先祖様があなたを守ってあなたが喜ぶ姿を一緒に喜んでくれる事を感じて沢山の感謝で溢れる世の中であります様に。
私が望む世界で実現したかった社会です。
この思いは小さなところから繋がっていってほしいと思ってます。どの世界から私はそれを見つめているか分かりませんが、この願い繋がっていくと信じています。
本当は自分が輪の中にいてやっていきたい。
今まで苦しい思いを抱えその時々を過ごしてこられた沢山の方と繋がり話ができその方々の思いや気持ちに触れられた経験は私の宝物になりました。