200511_他者への期待を、なかったことにしない
「他人に期待をするか否か」という問い。誰もが人生のどこかのタイミングで一度は考えるテーマなのではないかと思うが、私にとっては、一生答えが出ないライフテーマの一つなのではないかと思っている。定点観察をすると面白そうなくらい、「期待」との関わり方が、コロコロ変わる。
私は、同年代の友達と比較して、割と早めに、1巡目の「期待しない方が楽だよ論」に辿り着いた方だと思う。[「彼氏が、彼女が、僕私のために〇〇してくれないの…(怒)」みたいなことを言っている人をみると、「期待しなければ、何もやってくれなくて当然、何かやってくれたら超有難う!って思うよ。期待しない方が、楽だし、幸せが増えるよ。」とかなんとか、偉そうに語っていたような気がする。はあ、恥ずかしい。
そこからまあ何巡もしているけれども、この理論が一つの本質だと信じて止まなかった期間が割と長かったし、ベースは、こっちがいいのではないかと未だに思っている。(という考えすら、数年後の自分が見たら、未熟だなあ…何もわかってないなあ、と思う可能性が高いけれど)
この問いについて、最近は、こんなことを考えている。「誰かへの期待は自然な現象。"私" の中で、なかったことにしない」こと。
1人で、誰も巻き込まずに、好きに生きることを好む人いるだろう。私の場合は、〇〇ちゃん/くんと一緒に、何かがしたい!という気持ちが生まれることが多い。直感的イメージ先行型なので、イメージが沸いたら、誘う。誘わなくても、〇〇ちゃん/くんとこういう時間を過ごしたいという期待が生まれるのは、逃れられない性(さが)なのだと思う。
なので、当たり前だが、何らかの理由でそのイメージが空想で終わり現実化しないことはたくさんあるし、私は何気にかなり傷ついて生きていると思う。朝起きて身体が疲れている日と疲れていない日の差は、前日に増えた傷の量と深さも大きく影響していそうだというのは最近気づいたのだけれど。一つ一つの感情を丁寧に扱えば。
イメージが現実化しないとき、相手にも、自分にも、「全然大丈夫だよ~」と言っている。これを言うとき、ほぼ心が入っていない。(笑)そのあとには、自分の中で、次の補足が入る。(元々期待してないし、もし、よかったら、万が一可能だったら、ってくらいだからね。ほんとに、気にしないでね。)自分に、言い聞かせるように。でもここには、自分にも、相手にも、嘘がある。
少なくとも、自分の中では、なかったことにしないようにしようかな、と思っている。あるんだから。その悲しさを、ぎゅっと抱きしめて眠ればいい。誰かに対しては、その悲しみを毎回言葉で正確に伝える必要はないかもしれないけど、あまり繕わず、自然に、願いが漏れるくらいのコミュニケーションをしていいのかもしれない。強がらずに。
うむ。「誰かへの期待は自然な現象。"私" の中で、なかったことにしない」を、しばらく、大切にしてみよう。あと、もしできるなら、レベルは高いけど…自然に、願いが漏れる感じも。
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どうせ書いている日記。独り言を、つらつらと。閉じておく理由もみつからないので、公開してみることに。ちょっとやってみて、意味がありそうであれ…
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