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『愛とか恋とか、独り言日記』を開始しました。

noteのマガジン機能を使って、実験的に、日記を公開してみることにした。ここからフォローできるらしい。超短くても、数日文まとめてアップでも、たまに休憩してもOKの、ゆるいやつ。ミニエッセイみたいな空気感になりそうな予感。(自分の中で、シェアするハードルが高い内容のものなんかは、有料記事にしてみてもいいかもしれない。マガジン機能はまだよくわからないのだけど、使い方を学びながら、少し続けてみて、誰かにとって意味がありそうだったら、定期購読マガジンなんかも検討してみたい。)

『アンネの日記』をはじめて読んだのは、15歳くらいのときだっただろうか。活字を読むのがそんなに得意ではない自分だけれど、あのときは、ダラダラと一気に読んだ覚えがある。すごく面白かったわけではなかったけど、自分以外の誰かの人生をのぞき見するような新鮮さがあったのだと思う。彼女は、記録としてただ綴っていただけなはず。もしくは、対話的な意味合いもあったかもしれない。けれど、他者にとっては、彼女の目に映る世界を見せてくれる作品となり、結果的に、彼女は、長い年月を経て、アーティストとなったわけだ。

そんな風に、自分の日記を公開してみたら、誰かにとって、何か意味があるのかもしれないと思い、やってみることにした。いつだって、頭の中にはたくさんのことがグルグルしている。ダラダラ書くだけなら、なんの苦にもならないし、楽しい。最近、書くことが、とっても楽しい。

それ以外にも、もちろん、日記の公開というアイディアを実行するにあたり、それを助長してくるトリガーはたくさんあった。(いつだって、何かを始めようと思うときには、目に映る様々なトリガーたちが、私に何かを訴えかけてくる)

例えば。最近、初めて、自分が書いた文章が、印刷され、冊子になった。複数人で暮らす我が家で、装丁家 & 絵本作家のカップル企画の文芸集プロジェクトが発足し、毎月、納期までに提出した住民の作品が、冊子に掲載される。第1回目の冊子が出来上がったばかりだが、自分の文章がこうして印刷され、手元に届くのは、嬉しいものだ。感想シェアNIGHTで、「愛梨の文章には、今が、ピュアに、フレッシュに、描かれていて、いいね。」というコメントをもらった。とあるソウルメイトに見せても、「あなたは今のあなたの言葉で、今感じていることを書くのが、素直さが出て、いいとおもう。」と言ってもらった。どうやら、今の私は、イマココをそのまま書いてみる感じが、「いい」らしい。最近は、客観的な「良い」とか「悪い」とかの判断の無効化みたいな感じが起き始めていたが、プロフェッショナルたちからの「いい」という言葉は、なんだか嬉しいものだ。気づいてしまったが、私は今、お恥ずかしながら、多少「調子に乗っている状態」でもあるというわけだ。まあ、そんな、主観的で可愛らしい自分も、受け入れていこう。すぐに話が逸れる。日記だから良しとする。私の頭の中は、こんな風に、しっちゃかめっちゃか、飛びまくっている。

他人の目に映る世界を自分の目でみることは、できない。人は、誰かと、合体することは、できない。それが、この世の切ないポイントのひとつだと思う。(私は、この切なさが大好きなのだけど)でも、他人の眼鏡を借りて、その人の世界観(世界のをどう捉えるかの感性)で世界を眺めてみることは、できる。

私が、私のために書く日記を「開く」ことは、私の世界観を、一番、「生(なま)」な形(今の私にとっては、言葉での表現が、最も身近で、生だ)で開くことだと思う。

肩肘はらずに、まず、やってみよう。

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どうせ書いている日記。独り言を、つらつらと。閉じておく理由もみつからないので、公開してみることに。ちょっとやってみて、意味がありそうであれ…

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