【キンタマ1つ無くなった時の話】①
今回は僕の人生を語る上で割と大きな出来事である、キンタマが1つ無くなった時のお話をしようと思います。
このnoteをキッカケにしっかりまとめて、僕のこどもたちに、孫たちに、その孫は自分のこどもたちに語り継いでいけるよう、今も天国で僕を見ている左キンタマの為にきちんと書き起こします。
2004年12月、僕が小学5年生の時でした。
僕が生まれ育った新潟県関川村は雪深い地域で、その時も当たり前のように降り積もった雪が2階の窓すぐ近くまで届いておりました。
もうすぐ冬休み。僕は男友達と女友達計3人で遊んでいました。
午前中に集まったものの雪の降る田舎にそうやる事は無く、テレビを見て、お菓子を食べて、他愛もないお話をして楽しく過ごしていました。
14時頃でした。
僕の下腹部に痛みが起きました。
その痛みは下痢によく似ていました。
こりゃいけないと僕はトイレに駆け込むのでした。
トイレに行き一生懸命踏ん張ります。
しかし、何も出て来ません。
「デカイ屁だけ出た〜!」
と、あるあるで1ウケする為に屁だけでもと思い踏ん張るも小さな屁すら出ません。
強まる痛み、冬なのに額から吹き出る汗。
これは下痢じゃない何かなのだと確信しました。
部屋に戻り友人に相談すると、盲腸の痛みかもしれない。という新提案がありました。
なるほどこれがいわゆる盲腸か、不安になったものの、この謎の痛みの答えを見つけた安心感で戦う覚悟をまとめられたのでした。
それも束の間、マンガを取ろうと立ち上がる僕の下腹部にピリリと痛みが走りました。
僕「いっでぇ!」
盲腸じゃない。
もっと下。
大事なところあたり。
のさらに下の方。
はっは〜ん。
これキンタマだ。
名探偵ヤマグチ。
その痛みはキンタマから来ていました。
心配する友達をよそに一旦推理しようと座るとまたしてもキンタマにピリリと走る痛み。
僕「いっでぇ!」
あるあるで申し訳ないのですがタンスの角に小指をぶつけた時の痛みがしました。
原因を探ろうと衣服の上からキンタマに手を伸ばします。
衣服の上からキンタマを触ると、皆さんから見て右、僕から見て左(注※以降左キンタマとする)のキンタマが少し大きくなっているのが分かりました。
と、同時に走る激痛。
僕「があああっ・・・!」
あるあるで申し訳ないのですが身長3mを超える大きな男に持ち上げられてそのまま地面に叩き落とされた時の痛みがしました。
僕はこの事件の真相を理解しました。
「〜キンタマが腫れ上がって衣服が擦れるだけで激痛が走るんだ〜」
僕は知りすぎました。
こんな事なら名探偵になるんじゃなかった。
不思議なもので自分が大変な事になっている事を理解すると僕の脳みそは次から次へと症状をプレゼンしてきました。
額から吹き出る汗、熱っぽさ、吐き気。
それらがテンポ良く訪れキンタマがどんどんドクドクと腫れ上がっているのを確かに感じました。
その勢いたるやノーシードから優勝し伝説を残す勢いでした。
人間とはもろいもので、自分に起きている症状を理解するとたちまち弱くなってしまいます。
小学生らしくいつだって120%で友達との現場を楽しんでいた僕は、その日友達と遊んでいて初めて
「楽しくない」
という感情を抱き始めました。
はしゃいで転んで擦りむいた。
友達とケンカしてタンコブを作ってシュンとした。
だったらまだよかったです。
「キンタマが腫れ上がって衣服に擦れると痛い。」
という恐るべき状況を1人で抱える事になったのです。
そこからの僕は「キンタマが衣服に擦れず痛みも抑えられてギリギリ友達と会話ができる姿勢を探す小学5年生」になりました。
友達2人ともドン引きしていました。
その表情たるやクラブでナンパして次のお店に行って「お金無いからワリカンでいいかな?」と伝えた時の女の子と同じ表情でした。
それでも2人は「大丈夫?」「大丈夫?」と気遣ってくれて
「なんでもいいから病院に行こう。お父さんやお母さんに電話してすぐに病院に行く準備をしよう。」
という結論を出してくれました。
その手があったか。
すぐに当時我が家に導入されたばかりの子機で母親に電話をする僕。
「おかあ、キンタマが痛いから早く帰って来て。」
最初で最後の文章だと幼ごころにも分かりました。
部屋に戻り楽な姿勢を探し続けます。
衣服とはすなわちパンツ。
パンツにいかに擦れずに過ごせるか。
求道者と化した僕は
「正座」
「立ちっぱなし」
「横になって寝そべる」
等の姿勢を試してはパンツにキンタマが擦れて悶絶していました。
男性が思っている10倍、キンタマはパンツに擦れています。
当時の僕にとってパンツはナイフでした。
「蹴りたい背中」
「蛇にピアス」
「パンツはナイフ」
2003年の芥川賞がトリプル受賞だったのも懐かしいです。
楽な姿勢を探して三千里ほど歩いた僕が導き出した答えは、
「四つん這い」
でした。
発明でした。
ノーベル医学生理学賞を手中に収めた僕は四つん這いで小躍りをして小120分ほど過ごして母親の帰りを待ちました。
17時。
村全体にスピーカーで響き渡る17時の鐘が鳴り友達2人は心配しながら帰って行きました。
2人を玄関まで送り出す事は出来ません。
四つん這いのまま手を振ります。
2人とも友達の家に遊びに行っただけなのに、後半3時間友達がキンタマを大きくして悶絶して四つん這いバイバイで送り出されたのでした。
友達と入れ替わるように仕事を早く切り上げた母親が帰って来てくれました。
僕は開口一番、母親に言わないセリフ第1位のセリフを口にします。
僕「おかあ、ちょっとキンタマ見てくれない?」
この時まで僕は左キンタマを自分の眼で確認していなかったのでした。
大きなケガをした事がある人なら分かるかもしれませんが、患部を自分で見たくないあの感情でした。
代理人として母親にキンタマを視察してもらう事にしたのです。
ここまでメジャーに行く野球選手と一緒です。
メジャーに行く野球選手と違う所があるとすれば、僕は落ち着きが無く非常にケガが多い選手でした。
こういう時のおかあは慣れたもんで段取りが良く非常に頼りになります。
母「はいはい」
「仕事を早く切り上げて息子のキンタマを2つ返事で見る母親」爆誕です。
僕「ちょっと待ってね、擦れると痛いからゆっくり見せるわ」
母「分かった。そ〜っと そ〜っと ゆっくり。そ〜っと そ〜っと ゆっくり。」
ラマーズ法のテンポでした。
末っ子の僕を産んで以来11年ぶり3度目です。
自分で患部を見ないように視線は真っ直ぐ明後日の方向に向けながらズボンをパンツごと下ろす事体感1分。
無事おかあに腫れ上がったキンタマを見せました。
僕のケガなんて慣れっこのおかあが衝撃の一言を発します。
母「キンタマ太陽みたいになってるよ」
ただではすまないな。
母親が鮮やかな一言で息子に理解させたのでした。
僕「ハハハッ」
言葉のリズムで一回笑う僕。
そんなわけないだろ!キンタマと太陽って!まず役割が違うよ!ったくも〜!といった具合に心を落ち着かせてキンタマを確認します。
どれどれ?
僕「うわほんとだ」
僕の教科書通りのリアクションを他所におかあは受話器を手に取り病院に連絡。
僕は病院に直行するのでした。
続く…。
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