高知で見つけた新国立競技場のルーツ〜JFL紀行 高知ユナイテッドSC編〜
ついに、この日がやってきた。
2022年3月13日。2022年シーズンのJFL開幕となったこの日は、武蔵野サポーターにとっても特別な日であった。
アウェイ遠征で高知へと、初めて行ける日が来たからだ。
私はキャプテンさかまき。JFLに所属するサッカーチーム、東京武蔵野ユナイテッドFCを応援しながら全国を旅する旅人だ。武蔵野は2021年シーズン、なかなか勝てず厳しい一年となったが、なんとか残留し今シーズンも元気にJFLでプレーをしている。残留してくれたおかげで、私も今シーズン武蔵野を追って全国を旅することができるのだ。
思えば昨年もさまざまな場所へ向かった遠征の様子を記事にしている。今シーズンはどこへ向かうのか、お楽しみに!
2022年、武蔵野は高知ユナイテッドSCとの対戦からシーズンが始まる。高知ユナイテッドは、2019年の地域決勝でいわきFC・おこしやす京都AC・福井ユナイテッドFCという強豪ぞろいの決勝ラウンドを2位で通過し、県勢初となるJFL初昇格を果たしたチームだ。
高知がJFLに昇格してから今年で3年目となるが、ここ2年間、武蔵野サポーターは一度も高知へと行くチャンスがなかった。本当は、高知の昇格初年度である2020年も、高知と武蔵野は開幕戦で戦う予定だったのだ。
予定だった、と歯切れの悪い言い回しになったのはこの試合は開催されることがなかったためだ。2020年シーズンのJFLは、現在まで続くコロナ禍の影響で前半戦が中止となり、後半戦のみの1回戦に短縮されてしまった。そして残念ながら半年遅れで開催された高知ー武蔵野戦も残念ながら試合は無観客での開催となり、遠征へと向かうことは叶わなかった。
翌2021年シーズン。7月の開催となったアウェイ高知戦は県の東部、宿毛市陸上競技場で開催が予定されていた。しかし、この時は東京都に緊急事態宣言が発令中。状況を鑑みて、アウェイ席は用意されなかった。さらに試合当日は台風接近の影響もあり午前中は洪水警報が出るほどの大雨。もし私がお忍びで観戦へ向かっても、大変な思いをしたことだろう。ちなみに午後には天候が回復して試合は開催されたが、武蔵野はあっさりと敗戦している。
そして、3度目の正直となった2022年。開幕戦の日程が発表された瞬間に、高知という文字に胸が高鳴った。ついに、高知へと行けるのだ。もちろん情勢によっては無観客やアウェイ席なしの可能性もゼロではない。しかし、3年越しの高知だ。これは絶対に行くしかない。いつか行けると思っていたら、いつまでも行けなくなってしまうかもしれない。そんな強い思いに駆り立てられ、その日のうちに飛行機のチケットを予約した。
さて、高知といえば、かつおや芋けんぴ、しんじょう君や広末涼子とたくさんのことを紹介したくなる。
しかし今回の記事では、敢えて違った切り口から高知について紹介してみよう。東京武蔵野戦ということで、東京とのつながりがテーマだ。
今回の主役となる高知ユナイテッドは、先日Jリーグ百年構想クラブへの申請が承認された。J3ライセンスの取得にはまだ時間がかかるかもしれないが、Jへの階段を着実に登っている。Jリーグのサポーターの皆さんも、来たるべきJリーグ参入の際に、ぜひこの記事を読んで遠征への意欲を高めてみて欲しい。
https://sports.yahoo.co.jp/official/detail/202203010038-spnaviow
高知からTOKYOへ。建築家のルーツを探ろう。
羽田空港から朝一番の飛行機へ搭乗する。機内でで一眠りをすれば、そこはすぐに南国土佐にたどり着く。
今回の試合会場は高知市春野陸上競技場。空港からはレンタカーで40分ほどの場所だ。頑張れば日帰りだってできるかもしれない。
しかし、せっかく高知へ来たのだから試合だけ見て帰るのはもったいない。試合前日に前乗りし、ある場所へと向かう。
ある場所とは、高知県の中でもかなり山間部、愛媛県との県境に位置する梼原町。人口は3000人ほどの小さな町だ。町のほとんどを山林が占め、標高が高いこともあってか「雲の上の町」というキャッチフレーズが付けられている。
高知空港へ到着し、レンタカーを借りる。カーナビに場所を入力すると、空港からはおよそ100km。高速道路を使うと2時間ほどの道のりのようだ。
そんな遠い場所へと向かった理由、それはこの街には多くの有名建築が集まっているからだ。
それらを手がけた建築家。その名は、隈研吾だ。
現代日本を代表する建築家の1人であり、2021年にはタイム誌が発表した「世界で最も影響がある100人」にも選ばれている。
多くの人にとっては、東京オリンピックのメインスタジアム、新国立競技場を設計した人というイメージが強いだろう。サッカー界では「陸上トラックが邪魔」「ゴール裏が分断されてる」「大赤字」など大不評ではあるが、実は現在建設中のFC町田ゼルビアのクラブハウスの設計も手がけていたりする。
ガラス窓の配置が歪なのが少々気になるが、屋根部に木材を使っているあたり、かなり隈氏のテイストを感じられる。
隈氏は神奈川県の出身だが、キャリアの早いうちから梼原町でさまざまな建物を手がけている。隈氏の建築というと大規模建造物でも木材を使用することが多いが、そのはじまりは周囲を森林に囲まれたここ梼原町だったそうだ。
つまり、ひとえに彼の建築のルーツは高知にあると言えるだろう。TOKYO2020への道は、実は高知から続いていたのだ。
私自身の専門は建築ではないが、建物を見るのは大好きだ。有名建築家の建物を間近で見られるせっかくの機会ということで、足を運んでみたのだ。まずは隈氏が梼原町で初めて手がけた「雲の上のホテル」へと向かう。ホテルに宿泊をしていなくても、併設されているギャラリーが見学できるようだ。
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