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劣等感で死ぬの?

休職なんて思ってもみなかった頃に自分が設定した飲み会があって
今やそんなことできるのかと不安だったけど
なにせ言い出しっぺの幹事だし、なんとかやってみた。
そこそこ集まってくれて嬉しかったし。

皆、いい人だし、好きだし、だから会いたかったんだけど
自分だけが落ちこぼれておいてけぼりをくらっているようでくらくらした。

帰り道、これはやばいと一駅歩いていたんだけど
死にたいとしか思えなくて、やばいどうしようと混乱していて、
この間カウンセラーが教えてくれた体をさすってみたり、
意識的に呼吸したりしてなんとか歩いた。

今は落ち着いたのであまり覚えていないが、
生きる価値がないという劣等感がひどくて、どうしよう、
生きていてどうしようと思っていた。

大丈夫、大丈夫と言葉に出していってみて、
涙も出たけど、かなり汗もかいていたしとシャワーを浴びて、
お風呂場で泣いて、泣きながら大丈夫と繰り返した。
髪も顔も体も洗って出て、着替えたりしたら少しだけ落ち着いていた。

家路につく間、昔の恋人に電話したけど出なかったし折り返しもなかった。

死なないで、と言ってほしい一番の人だ。
死にたい、死んだ方がいいという思いに囚われいてるときに
「死んでほしくない」と誰かに言って欲しかった。
誰でも言いわけじゃないけど、今日会った人は私が死んでも全然平気そうに見えて、きっとそうじゃないとも思うんだけど、そうとしか思えなくて、
私に生きていてほしいと思う誰かと話したかった。
私が一番愛した人に言ってもらえたらよかったけど、電話は通じなかった。
彼はもう私を愛していないので、私が死のうがどうしようがどうでもいい。
それをわかっていても電話せずにはいられなかった。
彼に私の死生を押しつけたくはないという気持ちはある。
例えばこの電話に出なくて私が自死したと知ったら責任を感じるかもしれないし、後悔するかもしれない。
そんなことを思わせたくないのだけれど、だったら私はどうしたらいいのか。
ひとりぼっちの夜に、孤独を抱えきれないときにどうしたらいいんだ。

ドアノブを握りしめて、もう片手にはさっきつかったバスタオルがある。
ドアノブにバスタオルをかけてみる。
ドアに背を向けて両手でバスタオルを握る。
座る。
ここからは、こんなふうに部屋が見えるんだなと思った。
今まで座ったことのない場所だったから。

立ち上がってバスタオルをかごに投げ入れ、PCを立ち上げた。
自殺前に断捨離するのかなとググっていたらまみさんの知人らしき人の
ブログを見つけた。
まみさんが「40になる!」を書いている時、自分に正直に後悔のないようにと書けば書くほど、なにか大きなものを失ったんだろうと思ったと書いてあって、あぁ、それは今の私じゃないかと、恐れ多くも思った。
私の輪郭がぼやけてきて手の中に何もなくなって、
そんな自分を奮い立たせるために言っている言葉なんだと。
私、やっぱり死ぬのかな。

「ドアノブ 首吊り」でググったら、こころの健康ダイヤルが一番上に出てきた。こんな対策がちゃんとなされているんだなと妙に感心した。
夜中に電話を受け付けてくれるんだって。
そっか。ここに電話してもいいんだなと思ったらまた少し楽になった。

こんな時間まで起きていることはない。
でも薬を飲まないとやっぱり寝れないのだとわかった。
あと、アルコールはだめだ。
最近めっきり飲んでいなかったけど、おやすみすべきだ。

今日の私の劣等感で一緒にいた人たちを傷つけたり
嫌な思いをさせていませんように。
みんなごめんなさい。ありがとう。
そう思って、願って今日はもう寝よう。


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