稲葉曇さんの「私は雨」が美しすぎて震えてしまった。

こんにちはMSSさんです。僕が誰なのかなんてどうでもいいのです。「私は雨」なので。

①私=雨。上を見ながら落ちていったのでただよう雲が見えた。私はあそこから落ちたのか。

②地に落ちて流れ、たどりついた先の海で、自分はその隠し味なのだと知った。(※海水には塩分が含まれる)

ここで雨である私が塩分が含まれた水(=涙)であることがわかる。涙は悲しいときにも感動したときにも出る。なので私はネガティブとポジティブどちらの要素も含んでいる。

この➀私=雨、➁雨=涙ならば、➀の雨を生み出した雲とは何かを考えることになる。➁で私は涙であることがわかったので、雲とは何か=涙を流したのは誰かを考えることになる。

涙を流したのは雲。雲=稲葉曇(作者)と考えたとき、稲葉曇が流した涙(=生み出した雨)はこの「私は雨」という作品のことを指しているのでは?

そう解釈すると「私は雨」は「私は稲葉曇が生み出した作品である」という意味となり、歌詞の内容は「稲葉曇の生み出した作品の心中思惟」となる。

そう解釈したときのサビ。

「私(=「私は雨」という作品)は、生み落とされるまではあの上に見える雲だった(=稲葉曇の心の中にあるものだった)。涙(=作品)が集まる海(=ネットの海)にたどりついたとき、自分がこの海が生み出す感動(※文脈からの意訳)の一つ(=隠し味)だったと気づいた。私は雲が流した涙(=稲葉曇が生み出した感動)だった。私には世界を変えるほどの力は無い(=地球を困らせるほどの痛みは知らない)けれど、誰かの心に受け止めてもらえることを願ってる(=誰かの手の平を待っている)」

美しすぎませんか…。

「地球を困らせるほどの痛みを知らない」だなんて…。

こんなに僕やみんなを感動させておいて、何さびしことを言ってんだ!稲葉さん!あなたの音楽は!今!僕をこんなにも困らせている!(※本当に泣いた)

長い文章を読んでいただきありがとうございました。全部個人の感想です。勝手な解釈です。今までの文章と僕のことは全部キレイさっぱり忘れてください。


こういうのは個々人で「こうに違いない!」と考えて思いこんで泣いてうわあああ!!!!っと勝手にクソデカ感情長文をこういうとこに書いたほうがいいんです。たくさんのラブレターが海にたどりついたとき、あなたの心の中の言葉は海の隠し味だったのだと気づくのだから。

それではまた。


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