「人に人を紹介する」という行為について
最近、これについてとても考えさせられています。
今まで、深く考えずに
していただいたり、させていただいたり
していましたが、これは当たり前じゃなかったんだと改めて実感しました。
「人に人を紹介する」
一見簡単そうですが、実はとても難しい。
大人になって一層難しくなった気がします。
・・・
学生の時、他己紹介とかで、クラスメイトの紹介をしませんでしたか?
私、あれが結構苦手だった覚えがあります。
その人のことを、自分が知らなければできないからです。
理解しなければできません。
しかも、制限時間付きの他己紹介なんかで人を紹介だなんて
「なんて難しい課題だったんだろう」と思います。
私はそれが思うようにできなかった学生でした。
(きっと幼いながらに考えて、何とかこなしていたと思います)
本当に苦手だったなぁ、と思います。
・・・
歳を重ねて、それはさらに難しくなりました。
「(誰かが私を)紹介していただく」
に限っては、私は何も行なっていません。
私🤝知人A→→→他人B
「(私が誰かを)紹介させていただく」
においては、私が何かを行わなければいけません。
知人C🤝私→→→知人D
どちらにも言えることは、紹介するという行為を行うことは、責任が伴うということ。
「〇〇さんの紹介で...」
「〇〇さんを紹介したくて...」
って、知らない間に〇〇さんの責任も負っているんですよね。
今まで、私は軽々しく口にしていた気がします。
でも、その軽々しさは、それだけの信用がどこかであったからだとも思います。
(〇〇さんからって言えば、きっと大丈夫!なんて風に)
そう考えると、今までどれだけ人が“繋げてくださった紹介“の機会をいただいたのだろう...
気づかないうちに、私の周りの方々が責任を負ってくださっていました。
・・・
というのも、最近。
ロックダウンで外に出られずに、人とにコミュニケーション手段はネットに頼りきっています。
直接会って、対面で会話することはできません。
そんな状況でも、繋がってくださる方々が沢山いらっしゃいます。
**それは全部、”人からの紹介“です。 **
私は、有名人でもなければ、どこかの社長でもない、肩書きすら何もない...
そんな何者でもない私が、知らない人と新たに繋がれる訳がないのです。
でも、新たな繋がりが生まれるのは、そのブリッジ部分に人を介するからです。
でも、それは”ただの人“ではなく、”信頼できる人“だからです。
・・・
**「紹介していただくこと」
「紹介させていただくこと」 **
どちらも、簡単なことではありません。
責任が必ず伴います。
でも、私の周りに居てくださる(繋がってくださっている)方々は、その行為をしてくださる人ばかりです。
本当に恵まれているのだと思います。
だからこそ、”紹介していただけるだけ“の自分でも在りたいと思います。
「あなたを、〇〇さんに紹介しよう」
「あならなら、〇〇さんに紹介できる」
「あなただから、〇〇さんに紹介したい」
痴がましいかもしれませんが、そんな風に思っていただけるような自分で在りたいです。
そして、紹介するという行為の(見えない)責任を少しでも軽減できればと思います。
※皆さん、お心遣いから紹介してくださっているのは、重々承知の上です。
そして、今までは「(私を)紹介していただくこと」ばかりの自分だった気がします。
でも、これからは「(誰かを)紹介させていただくこと」へも取り組んでいきたいと思っています。
そうです、学生の時に苦手だった、他己紹介を克服したいと思うのです。
綴りに...
この投稿を読んでくださっている方は、なにかのご縁で繋がってくださっている方かと存じます。
この繋がりも、きっと(見えない)どなたかのご紹介かと思います。
有り難いことです...
そして、今後とも末永いお付き合いの程、よろしくお願い致します。
今日は、週始めの日曜日ですね。
どうか、素敵な陽(にち)曜日でありますように☀️
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