クローン病10年目になったので発病した時のことでも
0.はじめに
2012年にクローン病と診断されたあきです(*'ω'*)‼‼
もうすぐ発病から10年目ということで、記念に発病した時のことでも書こうかな~と思いnoteを開いてみました。
note自体初めて書くので文章やら配置やら変かもしれませんが!何とか読んでくれたらとっても嬉しいです~!!
1.とりあえず自己紹介
簡単に自己紹介をしておきたいと思います☺
名前はあき、年齢は20代後半、性別は女、出身は島国で現在はTOKYO!に住んでいます。
趣味はポイ活とお料理、クローン病になってからは調理学に興味を持ってしまい、大学院までノリで進みました。
なんだかんだあって社会に出るものの、色々な理由から今はニート半年目。そろそろ働く予定。
すべてはノリと勢い。
こんな感じのゆるい人生を送っています。
Twitterやっておりますのでよろしければ是非とも(*'ω'*)
2.本題「ごめん、カラオケには行けないみたい!」
ーー2012年7月、それはいきなりやってきたーー
2012年、私は高校卒業と同時に生まれ育った島国を離れて本州にやってきた。
方言に突っ込まれながらも、友達に恵まれて充実した日々を送り「大学生活最高~!」と島国のことはすっかり忘れて標準語を話せるようになった7月のこと。
当時、初めて大学での試験期間に突入し、レポートやテスト勉強に追われていた。
そんなある日の土曜日
残すところはあと1週間…テストを超えれば2か月の夏休み。
昼食に作ったソーメンには大好きなアボカドと納豆をのせて、ご飯を食べたらもうひと勉強しよう、そんな風に考えていた。
そんな折、突然腹痛に襲われる。
「いたたたた…またか~。」
そう、小さな頃からお腹が極端に弱く過敏性腸症候群の診断を受けており、何かしらのストレスがあるとすぐ腹痛が襲ってくるのは当時から日常茶飯事だった。特に環境が変わる時にはどうしても体調を崩す。やっぱりな~という気持ちが強かった。
とりあえず正露丸を飲み、ビオフェルミンでキメて、1週間の耐久戦を覚悟。
「1週間耐えたら終わるし、それでもだめなら病院で点滴打てばなんとかなるさ~」
と、いつもの調子で考えていた。どんなに腹痛が辛くても正露丸は抑えてくれるし、長くても2~3日でピークが終わる、今までの経験からそんなものだろうと甘く見ていた。
ところが…
日に日に増す腹痛。
腹痛だけならまだしも何かしらを口にすると途端に襲ってくる吐き気。何度も食べたものをもどした。いつもと様子が違うな、と思ったのは週の中頃、水曜日か木曜日か。そのころには下痢の中に黒い血のようなものが見えるようになっていた。
そういえば、血が黒いのは腸からの出血の可能性って聞いたことがある。もしかしたらいつもとは違う【何か】かもしれない。
ようやく自分の症状からネット検索をかけた。
食中毒、大腸がん、潰瘍性大腸炎…
目に映ったのはどれもイカツイ名前の病名たち。
一つずつ症状を見ていく。食中毒はないだろう、そのことだけは食べたものから理解できた。他は点でわからない。そもそもそんな大それた病気ではないはず。一番近いのは潰瘍性大腸炎。でも難病と書いてある。やはり違うはず。
そんな風になんの意味もない自己診断をして、金曜日まで耐え抜いた。
金曜日
最後のテストが1限目からあった。これさえ終われば病院に行ける。病院に行って点滴を受ければよくなるはず。そしたら夜は友達とカラオケに行くんだ、そうやって体に鞭を打ち何とかテストを受けた。そのころには自力で歩くのすら辛く、友達に近くの総合病院まで自転車で乗せていってもらった。
病院について受付をしてソファに座った。待ち時間が永遠とも感じられるほど長く、その間にどんどんと体が重くなっていくように感じられた。
ようやく呼ばれたころには疲れ切っていたと思う。最近の症状を伝えたところ、医師はややけだるそうに「一応血液検査をしておきましょうか。」と話した。
病院に行くとあるあるだが、1時間待って5分の診察でけだるそうにされるとややムッとしてしまう。こんなにつらいのに医師にとっては日常なのだろうな、と思うとぶつけようのないイライラが襲ってくる。
ぐっとこらえて、血液検査をしてもらいまたソファで座る。
「もう無理だ」
座って5分もしないうちに体が崩れかけた。とてつもない疲労感が体に広がっている。座っていることが限界だと感じ、看護師さんに声をかけた。ちょうど処置室に案内されるところだったようで、案内され点滴を打ってもらった。落ちてくる水滴を見ながら「これば終わればカラオケ行けるはず。何歌おうかな、初めてだから緊張するな」とぼんやり考えていた。
当時は点滴に対して絶対的な信頼があって、何を打たれているかはわからないけど腹痛やそのほかの症状がすぐ収まる万能薬!と思っていた。そんなものはないのに。
少し時間がたって、ベットのカーテンの隙間から看護師さんが声をかけてきた。
「一度診察室にどうぞ。」
なんだろう?検査結果がもう出たのだろうか。だるいな、起き上がりたくない。と思いながらものそのそと起き上がり診察室に向かった。
診察室入ると先ほどのけだるそうな医師はやや焦っていたように思う。
「血液検査の結果が出ました。1つ異常な数値が見つかりました。」
今までの人生で初めて告げられた血液検査の異常値。一瞬で嫌な予感が頭を駆け巡った。
「CRPという項目を見てください。通常であれば0です。風邪などであれば~1、肺炎などは~7で入院して治療が必要なのはここら辺からです。20以上ですと…」
淡々と説明を続ける医師。それよりも見えている数字から目が離せなかった。
CRP 38
私が見ている数字は間違えているのだろうか。38ってどのくらいのものなのだろうか。検査ミスの可能性は?一瞬でいろいろと考えていた。それでも医師は説明を続けている。
「38という数値は私もほとんど見たことがないです。詳細な検査が必要だと思いますので、すぐに大腸カメラをしましょう。保護者の方に連絡をしてください。今日はこのまま入院していただきたいと思います。」
聞いた瞬間に涙が止まらなかった。
このまま死ぬんだろうか。昨日まで、今朝まで、すぐに治ると思っていたのにたった数時間でこんなにも人は絶望に立たされることがあるのか。余命宣告をされるドラマは今までたくさん見てきたけど、実際はこんな感じなのだろうか、とやや飛躍したところまで考えていた。
その場にいた看護師さんと医師は、話している内容のわりに冷たいように感じた。けれど、今にして思うと本人がそこまで絶望していると思わなかったのだろう。
ただ淡々と、2人は保護者への連絡方法を考えているようだった。大腸カメラをやるにも、入院するにも同意書が必要だが未成年者の場合には保護者の署名が必要になるからだ。約800㎞離れた土地にいる保護者が来るのを待っていたら手遅れになるかもしれない、そんな風にも考えていたのかもしれない。
すぐに母の職場に電話をすることになり、事情を説明した。涙が止まらなくて綺麗に話せず、医師が代わりに事情を説明していた。母がどんな風に反応したのかはわからない。ただ、すぐに大腸カメラの準備が始まった。
とにかく私は絶望の淵に立たされていた。これからどうなるんだろうと一通り考えてもどうにもわからない。何周も思考して、最終的に一番近い絶望であるカラオケに行けないこと、にたどり着いた。考えるのももう疲れていた結果だと思う。
グループラインを開き、明るい文章で伝えることに努める。
「ごめん、カラオケには行けないみたい!みんなで楽しんで!!」
その文字を打って、初めての大腸カメラへ挑んだ。