雑記
某夢の国が大好きだった。
何年か前は年間パスポートを買ってそれこそ年がら年中通っていた。特にクリスマス期間は週2回のペースで足を運んでいたので、学校よりも長く滞在したかもしれない。
それがパッタリと興味を失ってしまったのは、一番好きだった某ねずみの整形がきっかけだった。
上海の発表はギャグだと思った。パリがすげ変わったときにおやと思った。そして、アナハイムまできて初めて絶望した。この例えがすこぶる不適であることは重々承知だけど、かつてアメリカが社会主義の波の到来に怯えた気持ちがよくわかった。いつかくるその時を恐々と待つしかない日々は不毛そのものであったし、パレードを見るたびに「この顔はこれが最後かも」と泣きながらシャッターを切った。
そもそもどうしてそんなに辛いのか、顔が変わるだけで辛くなるなんてファンでもなんでもないのではないかと幾度も人に言われたが、そんなこととっくの昔に自問自答したに決まっている。自問自答した上で結論なんて出なくて吐き出されるのは涙と金ばかりであった。金といっても大したことはないが(アルバイトもろくにやらない横着貧乏学生だった)、パークで発売されるグッズに加えて、今の顔を少しでもいい状態で記録したいとレンズも買った。徹夜でホテルを予約してシェフミだっていった。その熱意をもうちょっとマシなことに向けていたら人生どんなによくなっていたかしれない。
あの日のことは忘れない。運命の日を迎える少し前、その年のイースターグッズが一足先にお披露目された。
そこに描かれた某キャラクターのイラストを見て「なんか違う」と思った。同じ志をもつ友人に見せても「なんか違うね」と言われた。その漠然とした違和感が何を表すかうすうす気づいていたが、まさかなとも思った。悲しいほどに敏感になってしまった一介のファンの勘違いであることにした。
それから程なくして「すげ変わった」彼の姿が発表されたのには、悲しむより先に驚いた。やっぱりあのイラストは伏線であったのだ。
ちょうど整形が施される少し前、声変わりを迎えていた彼へのそこはかとない違和感を覚えていたこともあり、「ひとまず10年は行かないだろうな」とぼんやり思った。今振り返れば、それぐらい気持ちの整理がついていなかったのだろう。
しがないファンとしては、正直いまだに受け入れられたわけではない。前の方が好きだった、という気持ちは当然あるし、今の顔を見て以前と同じほど熱狂することはできないと思う。
ただその一方で、某国を遠ざければ遠ざけるほど、その存在の大きさを思い知らされることも事実である。
近頃は気がつけばホームページを眺めて、おすすめメニューも季節のグッズもおおかたチェックした。
利用したことのないバケーションパッケージプランまで目を通して、ホテルの空いている日を探っては貯金を数えている。
たぶん病気なのだ。それならもう、仕方ない。
全部を好きになることや、以前のような盲信はできないかもしれないけど、少しずつ温もりを取り戻していく感情を慈しむことはできる。まだ彼には会えない。でもいつかきっと、受け入れられる日が来るかもしれない。そう思えるようになっただけで十分だ。少なくとも今は。