その3:ミステリーと万年筆
アメリカのミステリ作家コーネル・ウールリッチ(またの名をウィリアム・アイリッシュ)の作品に『万年筆』というものがある。
御存知の方もいるでしょうが、1945年に書かれた短編小説で、早川書房のポケットミステリ648『ぎろちん』という短編集に収められている。1964年には岡本喜八監督によるミュージカル映画『ああ爆弾』の原作にもなり、今では紙の本は絶版となっているが、古本市場か電子書籍なら今でも購入は可能なはず(下記参照)。
この映画のタイトルで察しが付いた方も多かろうが、自らを刑務所送りにした人物に仕返しすべく、その人物が大事にするものと同じ万年筆で爆弾を造って謀殺を試みる。だが、ひょんなことから万年筆型爆弾は次から次へと人手に渡ってしまうという話。
小説では、件の万年筆が日本製として登場する。果たして何処のメーカーだろうとついつい気になってしまうのが万年筆好きの悪い癖か。特定へのヒントとして記されるのは、
・購入した店で同じものを買えたことより量販品の可能性が高いこと。
・「大理石の模様のついた軸、すこしずつ幅がせまくなっている三本の金色をした輪金、おなじく金色をして両端をかざっている小さな金具」があるもの。
・作品発表当時の1940年代のもの。
安直にパッと思い付いたのは、パイロットの「レガンス89S」だった。プロピオネイト樹脂を使用した大理石のような軸が特徴だが、これはパイロット創立89年に出されたものなので時代が合わない。あと大理石調で思い付くのはアウロラやビスコンティなどの海外メーカーだが、そもそも時代の点で噛み合わなければ日本製でもない。
ヒントはあれど、ヴィンテージに疎く知識も足らず、まったくもって見当が付かなかった。小説なので実物をもって書かれたとは言えないが、これではと言うモデルがあれば知りたい好奇心が何処かにある。
さて、かつての作家にとっては身近な商売道具であった「万年筆」を題材に選び、ミステリ作品へどう作者は料理したのか。
1940年代の技術で爆弾にされた万年筆はどのような起爆の仕組を持たされているのか。
現代なら隠しカメラや盗聴機にも化けられる万年筆だが、狙われる人物がこだわって万年筆を持ち続ける理由とは一体。
本来なら万年筆は知性の象徴であろうが、この万年筆型爆弾は狂気の象徴である。その手に渡る人々が抱える迷いの境界線で爆発の瞬間を待つことになる。言わばミステリ小説というよりはスリラー小説と分類しても良いだろう。
ウィリアム・アイリッシュ名義で描いた『幻の女』では、あの江戸川乱歩に絶賛させることになる名手コーネル・ウールリッチ。彼が弄する巧妙な一手は必見と言えよう。
【参考文献】
Amazon Kindle
ウィリアム・アイリッシュ『ぎろちん』
グーテンベルク21 刊行