心のあり様を神社でただす
昨日の夜から、何故か心が寂しくなった。
先日飲み会した女性とのLINEのやり取りを続け、
カカオではJK、SJDとのやり取りを続け、
星の王子さまでは色々なやり取りをし、
またJCとネッ彼になってる。
その、ちょうど狭間。
もっと、返信がほしい。
もっと、がっついて来てほしい。
もっと、期待に胸を膨らませたい。
その「もっと」という気持ちが、寂しさと直結していることは容易に分かった。
期待や希望に溢れているのではなく、絶望の中だからこそ、奇跡を望んでいる、というスタンス。
その姿勢だからこそ、降り注いできた数々の奇跡と幸運。
それを忘れてしまっていた反省。
翌朝、毎日の習慣として、神社にお参り。
「希望に溢れている人間じゃない。絶望の中だからこそ、もたらしていただいた奇跡の有り難みを昨晩は忘れていました。」
「今一度、自分のスタートラインを、初心を忘れないよう願います」
そして今日1日、すごく気分がいい。
カカオトークでも返信が来て、ありがたいと感じながら楽しくやり取りを続けているし、
職場でも、楽しく会話している。
やっぱり、俺の初心は絶望だな。
自分の中で抱く期待や希望、計画や算段など、捨ててしまう。
自分というどうしようもない人物に絶望し、ただ奇跡を神頼みする。
そして、感謝する(自ずと)。
このサイクルこそ、気分よく生活できるサイクルだ。