詐欺のお陰で世の中がハッピーになり得ることに気づいてしまった話
はじめに:毒を以て毒を制す
僕のTLでは突然転売行為に関する是非の議論が活発になりました。転売行為を否定する主張の一つに「転売によって価格が吊り上げられると、本当に欲しいがお金を持っていない人に行き渡らなくなる」という意見があります。例えば、将来的にずっとお金を落とし続けるファンになってくれるような中高生などでしょうか。
反対に、「転売などオークションに近い競争の制度を導入することでこそ本当に欲しい人に行き渡るようになる」という主張も見られます。では果たして、オークションを使って、かつ予算が十二分にないけど価値を感じている人にきちんと行き渡らせる方法はないのでしょうか。
僕がたどり着いた答えは詐欺のリスクを孕んだオークションでした。ということで、今回は反社会行為の解決策として反社会行為を肯定するという結論に至ったお話です。
※本文の内容は僕の修士論文の一部に準拠します。専門誌の査読も受けていないので正確性は保証しかねます。何かの間違いでWorking Paperとして公開する日が来るかもしれませんが、多分ずっとお蔵と経済学研究科図書館に入ったままだと思います。
ペニーオークション騒動
むかしむかしあるところに、ペニーオークション(ペニオク)と呼ばれるオークションがありました。ペニオクとは、入札のたびに手数料を支払い、この手数料が落札の可否に関わらず返ってこないという変わった形式です。例えば、1回の入札の手数料が100円の場合、AさんとBさんが10回入札を続け、Aさんが11回目の入札をしたところでBさんがリタイアした場合、
Aさん:110円を支払いアイテムをゲット
Bさん:100円を支払うが何も得られない
ということになります。落札者以外も負担するため、落札者の支払額が低くなるのが特徴です。
そして2010年代初頭、この特徴を切り取り「~円で安く買えた!」という情報を芸能人に流してもらい、利用者から金を巻き上げる事件が起きました。この落札できたという情報はもちろん嘘で、実際には架空の入札者がいつまでも価格を吊り上げて対抗し、参加者はただ手数料を取られるだけで一向に落札できないようになっていました。詳細はペニオク騒動のWikipediaをご覧ください。
このペニオク騒動をオークション理論の観点から考察したらどうなるかはまたの機会に説明します。こっちはきちんとした論文に仕上げるかも。
詐欺のリスクが低所得者へのチャンスを生む
ペニオク騒動では、詐欺が起こる確率を入札者が正確に把握していないが故に事態を深刻にしていました。一方で、詐欺が起こる確率を入札者が正確に把握しているときに何か面白いことが起きないかと僕は考えました。
ペニオクには、先にも述べたように落札者の支払額が少なくなりやすいという特徴があります。この性質に、「ペニオクはもしかすると危ないかもしれない」という評判が加わることで、本来なら高所得者との入札競争に勝ち得なかった人が勝てるチャンスが生まれるのです。例えば、以下の例をみてみましょう。
このケースでは、富豪が1万円を支払うように入札した時点でほかの人は勝ち目がなくなります。
ところが、一定の確率で詐欺が起こることを把握している場合、「詐欺に遭うくらいなら…」と購入意欲が低い人が撤退し、予算はないけれどとにかくほしい人が詐欺上等でペニオクの低価格帯での競争に参戦するようになります。
このように、一定確率で詐欺が起こり、かつ落札者の負担額が少ないという性質を兼ね備えていると、ほかの形式では実現し得ない効率的な配分(本当に高い価値を感じている人に割り当てられる配分)を達成し得るのです。
定理:ある条件のもとでは、一定の確率で詐欺が生じるペニーオークションが消費者の利益の総和を最大にする唯一の形式である。
※「ある条件」と書いていますが、そこまで一般的な制約ではありません。詐欺が世の中をハッピーにするというケースが無いかを探求したら見つかった、くらいに思ってください。
実際にあり得る仮定なのか?
やや強引ですが、今回の考察対象と同じ状況が想定されるものとして「長時間並べばタダで参加券をもらえるが、一定確率で中止になるイベント」が考えられます。並んだ時間をコスト、長時間並べるかどうかを予算制約と置き換えてみましょう。
ここでは、「とにかくイベントに参加したいが、長時間待ち続ける暇がない人」と「イベントに参加できることによるメリットはそこまで大きくないが、長時間並び続けられる人」の争いと見做せます。
通常であれば、とにかく並んでしまう後者の人が勝ちますが、一定確率でイベントが中止になるかも…という認識が共有されると「それでもいいから並びに行ってみよう」という前者の人があまり待たずにチケットを手に入れられるわけです。
おわりに:制度の良し悪しを多面的に見ると面白い
ということで、今回は僕の修士論文の供養でした。当時は逆張りオタクとしての全盛期を迎えていたのか、「どう見ても社会にとって良くない」と思われることから光明を見出すという変わった研究をしていたようです。
転売問題を含め、どのような制度が望ましいかという議論が活発になっているのは非常に良い潮流だと思います。その中で、固定観念にとらわれず、この制度はどういうときに使えるのか、この目的に合致するのはどのような制度かを分析していくマーケットデザインの概念が浸透していくといいなと思っています。
※でも詐欺をするのは良くないよ!!!(弁明しておくと、制度から詐欺の兆候を検知するという「反反社会的」な分析もしています)