穴の中
今まで気づかなかったのが謎ではあるが、部屋の隅っこに穴が開いていた。
穴は卓球の球ほどの大きさで、穴は僕を誘惑しているようであった。
遠目から見ると黒く塗り潰された円にも見えるが、近づくとその闇は僕を吸い込んでしまいそうなほど大きく感じた。
僕は穴を覗きたい衝動にかられた。かき立てられてゆくその感情が抑えきれなくなった時に僕は気付くとその闇に瞳を近づけていたのだ。
穴の中には僕の部屋があった。正確に言うと僕の部屋のミニチュアが存在していて、そこには小さな僕が、僕には背中を向ける形で部屋の隅っこを覗いていたのだ。
穴の中に僕がいた。その僕を僕は見た。
僕は自分という存在が一人しかいないという勝手な妄想をしていたことにこの時始めて気付いたのだ。
それから僕は穴の中の僕を観察することを始めることになる。
すると面白いことに、穴の中の僕は僕であり僕ではなかったのだ。要するにどういうことかというと。
僕に彼女はいないが、穴の中の僕は彼女がいる。
僕の趣味は読書だが、穴の中の僕はドライブが趣味らしい。らしいというのは僕は穴の中の僕が部屋の外で何をしているのか、穴からだとわからないからであって僕は穴の中の僕が本当にドライブをしているところは見ていないということ。見ていないけれども、察しはつく。
観察を続けていくことで僕はいつしか、穴の中の僕との対比をさせていることに気付いた。
僕は〇〇だが穴の中の僕は〇〇だ。
僕は僕であって僕ではない。
でも、僕にできているのに僕にはできない。
僕みたいに僕もなりたい。
そんな考えをするようになってから僕は、少しずつだけれども変わっていった。嫌な自分を少しでも嫌ではない自分にしていこうと。
気付くと穴の中の観察もしなくなっていた。
だって僕は僕だから。
そう考えて巡らせていた時だった。ふと後ろから視線を感じて振り返る。
するとそこには巨大な穴が開いていたのだ。
そしてそこからこちらを向いて瞬きをしている大きな瞳。
しかしその瞳は、どこか悲しそうで、そして少し懐かしい感じがしたのであった。