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海の中をただよう手紙

文字を書いて誰かに送るという行為をもう何年もしていない。

年賀状を送ることも中学生に上がる前に辞めてしまったし、授業中に先生に隠れながら手紙を回すというのも遠い昔の記憶だ。

誰かから手紙をもらうこともなく、最近インターホンが鳴ってワクワクすることといえばAmazonで頼んだものが届く瞬間くらいだ。

荷物が届くあの瞬間に似た感覚を小さい頃にも経験したことがある。

小学生の頃、今と同じように誰かから手紙が届くなんてことは皆無だった。だって、友達といえば学校という小さな範囲でしかいなかったから手紙を出す必要なんてなかった。それこそ手渡しですむ話だ。

でもどうしても手紙が欲しかった。あの、郵便受けの隙間から私だけに宛てられた白くて眩しい気持ちがひらっと玄関に落ちてくる瞬間を味わいたかった。

そんな私はなにを思ったのか、自分宛に手紙を書いていた。

何を書いたかなんて覚えてないが、ルーズリーフを折り曲げてセロハンテープを貼った封筒に、同じくルーズリーフの便箋を入れて投函したのは覚えている。

手紙を出すワクワク感と、いつ届くか分からないドキドキを同時に味わえるなんともおいしい体験だったように思う。

当時はお小遣いもなかったし、親に言える行為でもなかったから切手も貼らずにポストへ投函した。なんとなく手紙を出すのにお金が必要だということは知っていたけど、届かないならそれはそれで仕方ないと思っていた。

しかし、2日後、その手紙はさも当たり前かのように我が家へ届いた。自分だけのために手紙が届いた、あのなんとも言えない高揚感は今でも覚えている。

子どもが生まれた今だから改めて思うが、切手も貼っていない子どもが書いたであろう不恰好な手紙をわざわざ届けてくれた郵便局の方には感謝してもしきれない。

本来なら届ける義務も義理もないようなものなのに、大人の優しい心遣いだったことを親になった今だからこそ実感している。

手紙といえば、中学の時にはネットで知り合った女の子と文通をしていた。それは、LINEが運営していた「CURURU」という今はなきブログサービスで出会った子だ。

当時の私は親の離婚やイジメなど様々なことが重なり荒れに荒れていた。自宅に電話がかかってきて「お前なんて誰も好きじゃないからね」と言われたのを覚えている。今なら、そんなわけないだろうと一蹴できるが、思春期の子どもにとっては存在の全てを否定されるような重い言葉だった。

それを救ってくれたのがCURURUで出会ったその子だった。その子もきっと同じような傷を負っている子で、ブログには傷ついた腕の写真をあげていたように思う。苦しいのは自分だけじゃない安心感からか、よくやりとりをするようになった。そして、ネットの地続きのように自然と文通もしていた。

ネットとは違って少し時差のある言葉を読むのが大好きで、私も一生懸命に返事を書いた。

彼女のハンドルネームの後ろについている「斗」という漢字を気に入っていて、私にも同じような名前をつけてもらったりしたこともある。

大人からしたらままごとのような行為が、当時の私を何度も救ってくれていた。

いつからかお互いに手紙を書かなくなったが、それは同じような傷を慰め合う必要がなくなったからだといい。

本名も住所も覚えていない、もう二度と会うことはできないし、会ってもきっと気づきはしないあの子。

実際に彼女へ手紙を送ることはもうできないけど、この文章がネットの海の中を流れていって、いつか彼女に届けばいい、と少しだけ思っている。




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さどまち
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