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さどまちの写真と生活

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写真家としての活動や生き方、日々の生活について書いていきます。小さな幸せとかそういうのも報告させてね。
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#写真エッセイ

女の子「だって」なんて思ったことなかった

人、人、人で溢れかえっている休日の池袋駅前。ときどきツンと鼻をつく不愉快なゴミの匂いは異国の街並みを思い出す。 写真の現像をカメラ屋さんでお願いしている間、本屋さんでフラフラと写真集を物色していると、いつの間にか18時を回っていた。まだ明るい街並みに、季節の変わり目に気づかされる。 空腹によってうなだれていた顔をふとあげると、高いビルの上に「女の子だって甲子園」という文字が見えた。それは、女子野球WEBコミック『花鈴のマウンド』の広告看板だったとあとで気づいたが、妙にこの

写真の上達に必要なことは写真以外の知識

1週間ごとに開催されている「さどまち、ぽんずと、すずきしん」。 前回は、鈴木心写真館にお邪魔して、置いてある写真集をぽんずさんとそれぞれ読んで、考察していくという回でした。 そこでまず学んだことは、写真を読みとくには写真以外の知識が必要ということ。写真家の方がその瞬間を切り取った意図、その思想を想像することには、まず自身に知識がないと読みとけないことを二人の写真への解釈を聞いて痛感しました。 そして、写真は料理と一緒で人それぞれの調理法がある、という心さん。同時に「人に

他人の死生観をきくこと

「死についてどう思いますか?」 お酒が入り盛り上がってからしばらくすると、私はよく相手の死生観について聞いてしまう。 というのも、私は死が怖い。 周りが死ぬことも、自分が死ぬことも。今までの経験・知識・意思が全部なくなってしまうことにピンとこなくて、考えだすと泣き出したくなって、眠れなくなる。 だから、他の人がどう思っているか単純に知りたいし、死をどう捉えているかによって、相手がどんな生き方をしているのか少しだけ分かるのが面白い。 お酒の場でそんな話題を出すと、最初

いつだってこれからが本編

いつ開花するのか、雨で流れてしまわないか、と散々わたし達を騒がした花びらがハイヒールを鳴らす灰色の床に落ちている。 イメージとは違うその大量の白に、まるで虫の死骸のようだとぼんやりと考えていた。 その子たちが昨日までいた場所を見上げてみると、ぼくはここだよ〜と言うようにゆらゆらと柔らかそうな葉が揺れている。 光に透けるその緑を見ていると、落ちた花びらはただの目次で、これからが本編なのだと気づく。それは「令和!令和!」と新元号への盛り上がりと、5月から長く続く時代へのワク

どこまで行けるか誰も分からない

この1週間、インスタもツイッターもピンク一色で埋められていて、  そんな綺麗な写真撮りたいとか、桜が似合う女の子っていいなあ、なんて思っていたらいつの間にか春がもう半分まで通り過ぎようとしていた。  暖かくなったと思ったら、急に寒くて、来たと思ったら、すぐに去っていく。まるで女の子のような情緒不安定さを持った季節だ。 ********  昨晩、母と電話をしていたら、 「なんでそんなに動き回るの?」 「もう十分じゃないの?」 「安定した収入で、子供産むのが普通の幸せ」

ドラマのような「なにか」という幻想

「なにか面白いことないかな」 「なにかいいことないかな」 と考えているとき、私の場合は黄色信号だ。 学生の頃から頭の中で呟いていたこの言葉は、思考の中に根深く棲みついてしまっていて、ふとした時にひょこっと現れる。 そんなときは、きまって何かから逃げていたり、人生の舵取りが出来ていないときなのだ。 「ないかな?」なんてのは、他人へ期待してしまっている証拠だし、その他人とは特定の誰かではなく、ドラマのような劇的な「なにか」なのだ。 25年間生きていれば、そんな「なにか」

良い写真ってなんだろう? 〜平面構成編〜

写真バトル企画の第1回目の記事「結局、良い写真ってなんだろう? 〜基礎編〜」にて、 「いい写真とは、伝えたいことが伝わっていること」と書いたのですが、今回は実際撮る時に、何を考えるべきなのかを書いていきたいと思います。 壮大な勘違いをしていたこと その前に、「伝えたいことを伝えられるのがいい写真」と心さんから聞いたとき、私が勘違いをしていた話を最初にしておきたいのです。 "写真で伝えたいこと"というテーマに対して私は、「この写真を見た誰かを救いたい」とか「社会性がどうの

古書店はオリバンダーの店でした

小さい頃から魔法の世界への入口に憧れていた。  ハリーポッターのダイアゴン横丁の入口や、ナルニア物語のクローゼット。はたまた、ふしぎ遊戯の四神天地書など。  今でも道を歩いていて、ごちゃっとしている雑貨屋さんや本屋さんをみると「もしや……」なんて思いながら、だけど一歩踏み出せず、向こう側の世界へ思いをはせていたりする。  そんな臆病者の私が、先日人生で初めて「古書店」に足を踏み入れてみた。 初めての古書店へ  そこは渋谷から歩いて10分くらいのところにある「totod

写真家・鈴木心さん、ぽんずさんと写真バトル企画はじめます

Twitterで「重大発表をします」と告知したのですが、タイトルの通り… 写真バトル企画「さどまち、ぽんずと、すずきしん(仮)」をはじめます! 写真を始めてからというもの、毎日が悩みの連続。 なんで撮ってるのか? なにを撮りたいのか? どう撮ればいいのか? 自分と向き合うだけでなく、撮った人、見せる人など、人の感情が素直に現れてしまう写真だからこそ、向き合うことが沢山あり、頭の中がごちゃ混ぜになっていました。 鈴木心さんと出会い、新たな価値観に触れる そんな中、「ぜん

目に入ったもの全てを「運命」と仮定する

東京に来てからというもの、目に入ったものを全て運命だと仮定して日々過ごしている。 やりたい衝動に駆られた時、 会いたい人がいる時、 どこかに行きたい時、 お金や時間、自分の力量不足を言い訳にせず、思ったこと自体が「運命」だと思い込んでまずは予定を入れる、そしてやってみる。 もちろん、初めてやることは不安だらけで、予定を入れたはいいものの、その日になったら「ヤバいヤバいどうしよう……」と情緒不安定になって、彼に迷惑をかけていたりする。(いつもそんな私をなだめてくれてありが

作品から何を感じるかは受け手の特権

昨日、東京都写真美術館で行われている「APA AWARD 2019」に行ってきた。 テレビやポスターなどで実際に見かける「広告作品部門」と、公募型の「写真作品部門」の2つの部門からなる写真の公募展だ。  ものすごい数の写真に囲まれたその部屋に入った瞬間、一気に胸が高鳴った。普段はツイッターなどのSNSを利用して、他人の作品を探すことが多いが、この場所には日本で第一線を張っている人たちの作品がぎゅっと濃縮されているのだ。なんて、贅沢。  1つ1つの作品を見るたびに、どうして

春が近づいてきたので、旅に出たい。

ここ最近、妙に「一人で旅に出てみたい」という気持ちがウズウズと顔を出している。 それはきっとマルタ留学をしているきっちゃんをはじめ、周りの友人が海外に対して積極的な人たちが多くなったからだろう。そして、なにより気温が暖かくなったからだと私はにらんでいる。 小さい頃から年に1回台湾に行ったり、高校はアメリカ、大学は台湾とフィリピンと交換留学をしていたので、海外に行くことに対しては特に抵抗がない。 そこで偶発的に生まれる出会いや、景色、環境などが楽しくてたまらないのだが、い

「嫌い」を知ることで「好き」がわかる

去年の8月、人生で初めて富士山に登った。 普段からスポーツもしないし、山に登ったこともないのに、2018年の目標に軽く「富士山に登る」と書いてしまったがゆえに友人三人と登りにいくことになった。(言い出したら達成しないと気が済まないのだ) 新宿駅に集合したが、一人はまるで高尾山にいくような小さなリュックで登場。それとは対照的に私は会社の先輩から借りたフル装備で固めてきていた。 非常食、水、雨避け、山の高さによって変える着替えにスティック。それらを詰め込んだリュックは大きく

珈琲を飲んで、心震えたことがあるか

「で、今日のお悩みはなんですか?」 ゲーム音楽に包まれたコーヒー屋さんでかけられたその言葉に、自分の心を見透かされたようで思わず泣きそうになった。 ******* つい5時間前、急遽仕事終わりにあるコーヒー屋さんに立ち寄った。 コーヒーを飲むとすぐにお腹をくだす私が、なぜコーヒー屋さんを訪れたかというと、今日のお昼過ぎに写真家・鈴木心さんの呟きを見たのがきっかけだった。 鈴木さんは「宣伝会議」の広告で、私が敬愛する道重さゆみさんを撮った方。 つい先日、ツイッターを