モチベを捨てる
最近、忙しいと感じる。充実している証拠かもしれない。あれもこれもやりたいと思っているうちに一日が終わってしまう。これまで一人の時間がないと嘆いていたけれど、それも違った。足りないのは、一人の時間ではない。自分の時間だ。先日、満員電車に揺られていた。すし詰め状態で、近くの人たちのスマホの画面が見える。覗くつもりでチラチラ覗いていたら、その周りだけで数人がソシャゲをプレイしていた。彼らは、仕事で失われた自分の時間を取り戻しているのだ。満員電車でソシャゲなんてやりたくないはず。疲れ切っていて、やらざるを得ないんだ。一人の時間は、物理的に一人で過ごす時間。自分の時間は、自分の意志でどう使うかを決めている時間。
隠し事と信頼
付き合いが長く続いている人は、「何かを隠している感じ」がしない。深いプライバシーは除き、基本的にあけっぴろげだ。その大らかさの前では、信頼されていると感じる。逆に、「あなたには話せないことがある」という印象を持つ人には、信頼されていないと感じる。そういう人とは自然と疎遠になる。結局、長く続く人同士は正体を晒し合っている。正体は、その人の異常性を示すと思う。社会的な仮面を外すと、生々しい欲望が表れる。その性癖を供し合うと、強いつながりとなる。性での直接的なつながりより、性癖でのつながりのほうがずっと強いもののように思う。チームで一致団結して甲子園を目指すのも、性癖の一種だと思う。
人間の癖と適応
人間には癖がある。これについて語れることは多い気がする。例えば、冷蔵庫に貼り付けてあったポストに投函されたガス会社のカレンダーを見栄えが悪いという理由で取り外したら、無意識に冷蔵庫の前で目を止めてしまう。引っ越してからは、壁の電気スイッチの位置をよく間違えるようになった。そして、10ボタン式のトラックボールマウスのクリックイベント設定を変更すると、指が混乱してしまう。
人間にはデフォルトの設定はないが、適宜、癖がデフォルトとなっていく。傍から見れば汚部屋でも、そこに住む人にとってはそれが普通になる。変化が生まれると、その都度順応する必要が出てくる。掃除ができないのではなく、必要性を感じていないために面倒くさいのである。「世の中の大事なことってたいてい面倒くさいんだよ」と宮崎駿は言っていた。現状維持は衰退とよく言われるが、マウスの設定を変更するのは、ボタンが壊れ始めているからだ。シングルクリックがダブルクリックになったり、クリックしても無反応になったりする。それが続くと、マウスはマウスとしての機能を失う。正常に働くボタンに左クリックを移しても、どうせまた壊れる。そうなったら、買い替えなければならない。物事を持続させるには、面倒くさいことをこなすほかなく、放置しておくと現状維持すら困難になる。
モチベーションと継続
知人がマイコプラズマにかかり、同じ頃、俺も咳が止まらなくなった。もう三週間が経つ。最初は微熱が少しあっただけで、違うと思っていたが、調べてみると、発熱がない場合もあるらしい。もしかして、俺もマイコプラズマか?ただでさえ風邪を引いただけで完治まで気だるくなるというのに、多くの人が週40時間も働いているという。超人たちだ。一日の合間にブログを書くために二時間ほど割き、他は自由に過ごしているにもかかわらず、「自分の時間が取れない」とぜいぜいと息が荒くなっている俺には、せいぜい一日3時間労働が限界だろう。
こないだ、友人と「どこでもドア」の無意味さについて語り合った。彼女に問いかけた。「どこへでも行ける。どこの店にも、他人の家にも自由に出入りできる。ギョッとされることもなく、さながら天皇になった気分で。そんな状況になったら、君はどこへ行きたいと思う?」彼女は少し考えた後、こう応じた。「興味ない。むしろ、なんでも食べていいと言われたら、めちゃくちゃ嬉しい。」
人間、好きなことに対してはモチベを必要としない。勝手にやってしまう。ただどうしてもやらなければいけないことは、苦手意識を抱えながらも遂行する。最近は、文章を書くことや早寝早起きをいかに継続するかばかり考えている。だから、モチベーションについての話が多くなっている気がする。しかし、元をたどれば、生きること自体に無気力だったのだ。常に心が折れず、自暴自棄にならないように、そんなことばかりを考えて過ごしてきた。
モチベーションを必要とすれば、すべてはモチベ次第になる。しかし、モチベを必要とせず、淡々と物事を進められれば、最終的にはモチベがあったことになる。良い継続をしていれば、自信も後からついてくる。継続には悪い方向性もあると感じる。単発であれば許されても、乱発すると許されなくなる。受け手にはキャパがあり、許容量をオーバーすれば縁が切れてしまう。我慢の限界がやってくるのだ。
少なからず、人間は協力しなければ生きていけない。そのため良い継続を心がけることが重要だ。モチベを保つことではなく、やりたいことを丁寧にやり続けることが大切なのだ。言葉や物事を雑に扱うと、魂が抜けていく。気持ちの問題にすり替えるのではなく、どうしたら意識せずに続けられるかを考えたい。何かを続けようと思うほど、逆効果になることもある。むしろ、いかに考えずにやるかがポイントとなる。