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やってる感をなくす

まいどおおきに。自称インフルエンサーの三森です。本日甲高い声でご紹介させていただきたいのはダイソーの毛玉とり!

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撮り方一つでかなりお洒落に映る

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髪を切ったらイジリー岡田風になりました。ワックスをつければなんとかなるんじゃねとたっぷりめにつけたら見事かっこよさげなイジリー岡田になりました。ってそれ顔がイジリーということではというイジりはしないでもらえると嬉しいです。舌出して生きていこう。

先日、自家製のお味噌を頂きました。普段は当然のようにスーパーで市販の味噌を買っているので、家で作れるなんてと自分がいかに資本主義に侵されてきたかを目の当たりにしました。(行きつけといえばダイソー)

高給取りの方々にはわからないと思いますが(ぷんすか)、おびんぼっちゃまにとっては安いチェーン店の常連になるしか生きる術はないのです。ルサンチマンが爆発している日々です。ぽっくんだって国道6号を意味もなくフェラーリでかっ飛ばしたいですよ。くそ!

おかっぱ風になったせいか一人称が俺からぽっくんに変わりました。みんなぽっくんをよろしく可愛がってくりくり。ところでぽっくん、自分のことを褒められると伸びる子だと思ってました。でも、違ったようです。褒められても叱られても伸びない子のようです。参りました。ポテンシャルだけはあるんですけどね。ポテンシャルだけは。誰か開花させてくれ。

昨日、弟と会話しながら鶏むね肉とセロリとピーマンと春菊をハーブソルトと味の素を使って炒めていました。これが結構美味しくできたのです。調理中に家事についてのあれこれを語らいました。米を炊く、掃除をする等が弟の役割で、俺は生活費の管理と買い出し等々、彼女は料理をしたり、各自、やるべきことをこなしています。

一人称が俺に戻りました。たぶん、ワックスがいい感じに馴染んできたのだと思います。――弟との会話の中でポイントだと感じたのは「やってる感」というキーワードでした。

やってる感をなくす

例えば、米を炊く時にわざわざ「俺はやってる感」を出す。それは周りにいる人にとっては嫌なこと。でも、やってる側としてはたまには感謝されたいから、やることが当たり前に成り下がるとやる気も失せてくる。

感謝は凄い。何も消耗しないのに言うだけで相手にエネルギーを与える。言われたらこちらこそとなる。世の旦那さん方がもしこれを読んでいたら、まずはパートナーにありがとうを伝えることだと言いたい。

自分だって頑張ってるんだから相手も頑張って当たり前は非っ常にキビシ〜ッ!!

「やってる感」を醸し出すことは時として頑張ってますよアピールにしかならない。ぽっくんがやりがちなやつ。自分は当たり前のようにやりながら、人にはやってもらって当たり前だとは思わないこと。

やっていることにやってるという意識を持たないようにする。やることを無意識の中に落とし込む。それは愛することと似ている。

習慣化とは意識していることを無意識の海に落としていく作業だと思っている。やらなければいけないことが多すぎて発狂したくなるような日々の人も多いと思うが、人間とは面白いもので勝手に身体が動いてくれる。

逆に言えば、身体が勝手に動かなくなったら、今やっていることを疑う時なのかもしれない。自殺者数が毎年2万を超える社会だ。実はやって当たり前のことだと思っていることは当たり前じゃないのかもしれない。

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自家製のお味噌を頂いた

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三森正道
苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。