#16 変わりゆくもの、変わらないもの
日付変わって昨日のことです。
大学時代所属していたサークルの周年記念の集いで名古屋に向かいました。
卒業してから、個別に会うことはしていましたが、こういう場に出るのは卒業以来四半世紀、初めてのことです。
発足して70年、会場のロビーには年配の方が。
「着いたんだけど知らない大先輩ばかりでとりあえず化粧室に避難した」
同期からのDMもうなずけます。「ここに来るのは場違いだったかな」私も一人喫煙所に避難します。今回参加するのを知っていたのは同期二人だけ。もし私たち以外がみんな歳も離れた先輩たちだったらどうしよう・・・そんなことも頭をよぎります。
そんな思いは杞憂に終わります。「あら、先輩じゃないですか!」救世主現る。2つ下で学部も同じ後輩、Kくんでした。彼の結婚式以来、15年ぶりの再会です。見知った面々が来ることも教えてくれ、受付へ向かう足取りも軽くなりました。
幸い、私のテーブルは3つの学年、まさに苦楽を共にしたメンバーが卓を囲みました。髪型や色に変化はあれど、顔つきやしゃべり方は全く変わっていません。ほとんどが20年近く会っていない方々なのに、まるで先週会っていたかのような、活動で得た共通言語が一気にブランクを縮めてくれました。
夕方からは同期の一人が営むワインバーに場所を移しての二次会。二次会から参加の、これまた懐かしい勝手知ったる面々も加わり、もう30年近く前になりますが、部室にいた時と同じ雰囲気でワイワイと時間が過ぎていきました。
変わらないなあ、という喜び。
快く送り出してくれた妻へ感謝とともに当日のことを話し、ここまでは良かったことを書きました。
実は引っかかることがあるのです。
ワインバーを営む同期が自らのブログで、人生の折り返しを過ぎ、もしかすると、次回の周年の集い、おそらく10年後になるのでしょう、そこに行けないかも知れない、あるいは誰かに会えないかも知れない。だから今回参加するのだと書きました。
これには全くの同感で、私にとっても背中を押してくれた言葉です。事実2つ上の先輩が一人、3年前に亡くなっています。まだ40代、昨日の席でも悼む話も出ました。
ロビーにいた大先輩方はなおさらで、物故者黙祷もしましたし、今回は昭和36年に卒業された84歳の先輩が壇上に立ち、亡くなられたサークル関係者を空に向かって呼ぶという時間もありました。
いつまでも若いわけではありません。今回の招待ハガキには、OB会をやる人はいないかという問いかけの文章がありました。確かに、今回尽力されたのは、自分の両親と歳も近いベテランの先輩方です。明らかにあの問いかけは我々に向けられていたはずです。あの役割を取って変わる、そういう時代に来ているのです。
ただ、残念ながら我々でそれを担う人はいない気がします。私を含め、名古屋にいないのもいますし、前回の周年では、幹事を引き受けたものの、年次が古い方からああでもない、こうでもないと言われ、モチベーションがなくなったという声も聞きました。そこまでとなれば、自ら買って出ようと思うでしょうか。
いやはや、複雑な思いです。昔はこういうことに長けた、いい意味で世話好きな人がどこかにいて、任せられる、任せたとしても期待以上のことをしてくださる人がいましたが、おそらくそういう人材は少ないと思います。
呼びかけがあれば集まるけど、誰が仕切るの?そんな状況になりつつあります。
楽しかったけどどこかもどかしい、変わらない楽しさと変わりゆく辛さのようなものが隣り合わせの集いでした。