宝塚歌劇ディミトリを観て

今日は先日観劇したディミトリについて
書きたいと思う。
ざっくりとした内容だけど、覚えてる範囲で。
ネタバレしたくない方は、ここで読むのをやめてくださいね。



舞台は13世紀のジョージア王国。
ディミトリと呼ばれる青年がいた。
彼は、和平の証としてジョージアに預けられた王子。
そんなディミトリが人気のないリラの木の下で休んでいると、いつも探しにきてくれる人がいた。
その人がジョージア王国の王女ルスダン。
ディミトリとルスダンは、初めて会った時から惹かれあっていた。しかし、お互いの立場故に、その想いは実らないものだと考えていた。
そう過ごすうちに、ジョージア王国にモンゴルが攻め込んでくる。
モンゴルとの対戦にジョージア王国の王、ギオルギ自らが指揮を取る。右目がほとんど見えていないギオルギの右目としてディミトリも戦へ向かう。
戦況は悪く、ディミトリが見ていない隙にギオルギがモンゴル軍の矢によって倒れてしまう。
死の間際、ギオルギは娘のルスダンに伝える。「ディミトリと結婚し、お前が国を治めるのだ」と。
ギオルギの遺言通り、ルスダンとディミトリは結婚しルスダンは女王に、ディミトリは王配になった。
しかし、政治経験のないルスダン、他国からきたディミトリが王配になることを議会はよく思っていない。
そのため、ディミトリは政に参加することができなかった。
女王ルスダンの「私的な相談役」として全力を尽くそうと、また想い続けていたルスダンと結婚できたことに喜び日々を過ごしている。
しかしそんな中、亡国ホラズムの王が2人の前に立ちはだかる。
ディミトリは、ルスダンと彼女が治める王国を守ろうと立ち振舞うが、2人の中は引き裂かれていく。


ざっくりとこんな感じのお話。原作は並木陽作「斜陽の国ルスダン」である。

私はこの作品を見て「愛」について考えさせられた。
きっと、もっと他に意識する部分があるのかもしれない。でも、今の私が受け取りたいものは、これだった。

まず初めに、ジョージア王国の王ギオルギとその妻バテシバの関係について。
舞台ではさらりと流されている。
バテシバは元々人妻で、ギオルギに見初められて王宮に入った。そのため、バテシバのことをよく思わない人物が多くいた。
ルスダンがバテシバに「あなたなんか大嫌い」と発信する。
バテシバは「わかっています。だから私はギオルギと離縁します。あの人はとても優しい人。」と話す。
バテシバは、たとえ離れていたとしても私たちは愛し合っていると。

場面が変わり、ギオルギとディミトリが話す場面。
ここでも、ギオルギが「私は妻と別れることにした。自由に過ごしている妻が好きだったのだ。私のわがままでこの窮屈な王宮に閉じ込めたくない」と。
ギオルギも、私たちはたとえ一緒にいなくとも愛し合っているのだと。

そして話も終盤、ルスダンの元にディミトリがやってきた。この時のディミトリは亡国ホラズムの人間であった。
ディミトリはそんな中、ルスダンを、ルスダンが治める美しい王国を守るべく、ホラズムを裏切り密告をするとルスダンに告げる。
ルスダンはディミトリがそんなことをすれば死は免れないと悟る。そしてルスダンはこう言った「あなたが生きているのならば、敵でも味方でもどうだっていいの…」と。
ディミトリはそれでも、ルスダンとジョージア王国が大切なのだと話し「どんなに離れていたって、僕は君の夫だ」と言い残してルスダンの元を去る。

その結果、ジョージア王国は美しい都市トビリシを奪還することができた。
ディミトリは亡国ホラズムの帝王と食事を共にしている時にトビリシが陥落した報告を受ける。そして、密告者としてディミトリが怪しいと。ディミトリは密告したことを告げ、自ら毒を飲み命の終わりを迎える。

ディミトリの死の知らせがルスダンの元に届く。彼女はリラの木の下で「私が死んだ時には『よく頑張ったね』と頭を撫でてね」と泣きながらも、今を生きていくことを決意する。

特にこの二つの流れから「愛とは一体なんなのか」と考えた。
愛する2人がいれば、結婚し生涯を共にするのがさも当然のようになっている。
しかし、それだけが愛し合うことになるのだろうか。
最近、友人から「確かに愛しているが恋人というカテゴリーではうまくいかないから、恋人をやめた」という話を聞いた。

ギオルギとバテシバの関係、ディミトリとルスダンの関係、友人の話。
少しづつ違いはあれど、愛し合っている2人が一緒になれないことが共通している。

私は愛し合っているのであれば、その形はいろんな形があって良いのだと思う。愛し合っている両者が満足しているのに、他者がとやかく口を出す筋合いがない。愛し合って満足している2人に「それは幸せではない」と騒ぐ人は嫉妬しているのではとさえ考える。

とどのつまり、「愛」とは一体なんなんだろうか。
私はまだわからない。
でも、愛し合っている2人を見るたり、話を聞くのが好きだ。
私まで満たされるような気がするから。

人を愛する前に、自分自身のことを愛せるようになりたい。
どうしようもない私を。


まとまりのない文章を
ここまで読んでくれてありがとうございます。
良き一日をお過ごしください。

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