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ママ友ってともだち?

meganemoです。
突然ですが、ママ友はともだちだと思いますか?

私はもともと友達がとても多いタイプの人間ではなく、数人ずっと仲良くしてくれている友人がいる「狭く深くタイプ」の人間です。反対に「広く浅くタイプ」もいますよね。
でももっと細かくこの分類をわけると「一匹狼タイプ」「気付いたら一匹狼になってたタイプ」「上辺だけタイプ」「ニコイチなりたいタイプ」などいろいろなタイプに分けられると思います。

類は友を呼ぶ、ともいいますが似た者同士、似てなくてもどこか相手の考えや行動が尊重できる、波長が合うなどいろんな要素を経て友人と呼べる間柄になりますよね。
「君に届け」の「しってる?友達ってね、気付いたらもうなってんの!」はあまりにも有名な名言です。
でもこれはママ友に当てはまるのかな、どうかなあと最近思います。

私の子供たちが通う園は親が送迎していて、さらには商業施設が多い駅近なので、お茶にいくことも(コロナ禍で減っていますし、人も固定になってはいますが)あります。これはバス送迎の人もそのままお茶へ、なんてことも多いのでは?
でもこれは地域性なんかも関係あるだろうし、そもそも人とかかわることが好きではない人もいるだろうし、すべての人に当てはまるわけではないと思います。
まったく自分と色が違うお母さんとは、子供がいない状況で会話する内容がそこまで生まれないし、育ってきた環境が違うからすれ違いも否めないってまさよしも歌っていますもんね。そもそもそのズレをすり合わせて分かり合おうとする労力を、子供の友達(ではないかもしれない)のママに使いたい人っていないのではないでしょうか。
でも、全体のママの一握りかもしれないけれど、ママ友との関係に悩むママって必ずいると思うんです。

なぜなら、私もそうだから。うまく馴染めなかったり、亀裂が入ってしまったり、そういう人たちを見てきたから。

なぜ女性は群れるのか、というのに女性のストレス発散が喋ることだからだと聞いたことがあります。2万字喋らないとストレスが発散できないというもの。
よく子供が小さくて家庭内で社会ができていたとき、実家の両親に電話をしょっちゅうかけては他愛もない話をしていましたが、園に属してからは社会が広がり、会話の相手が肉親ではなくなる。そういう人って私だけではない気がします。
女の人が愚痴が多いって思う人も多いでしょうが、別に解決してもらいたいわけじゃなく共感をしてもらいたいだけだったりしますよね。
今日の晩御飯どうしよう、毎日悩む。という問題を夫に話しても意味がないんですよ。夫は食べている側で作る側の悩みがわからない。だから、何か買ったらいいんじゃないかとか外で食べたら?なんてアドバイスをしてきます。
ちがうんです。別に作りたくないから愚痴ったわけではないんです。
「そうだよね、毎日献立考えるの大変だよね、ありがとう。自分はこれがおいしかったよ」って言ってもらえるだけで、じゃあ今度それ作ろっかなってなるんですよね(メニューにもよる)。
これが夫ではなく、毎日ご飯を作る側に相談したら簡単に共感してもらえる内容で、自分はこんなの作ったよとか、こんなアレンジがよかったよ、なんてヒントまでもらえてしまう。
住んでる地域が近いということは生活レベルも近いから、服の好みなんかが似てる人はそういう会話に発展することもありますよね。この服しまむらなの!見えない~!なんて会話は関西圏ではありがちではないですかね。関西人は商人の精神がなぜだかあるから安くて良い買い物自慢をしてしまうんですよね。私は農家出身ですけどね。

毎日のように他愛もない会話をしていても、この人たちはママ友なんですよね。ママ友というジャンルの中で気が合うひとという振り分けになるのではないでしょうか。

二人の子供と同級生で、気の合うママ友がひとりいました。
何かと気が合い、好きなものも似ている。私はそのママ友が大好きになり、その人と出会えたことが宝物のように感じていました。
なんでも話してなんでも話してもらう。会話する内容もどんどん濃くなっていきます。
一緒にいる時間が長い分、掘り下げて会話をしていくことになり、相手の内面が見えてくるんですよね。
Mさんはとても親切で回りが良く見えていてユーモアもあり、園のママたちの中でもひと際目立つような人でした。その人と仲が良くなって、園でのママ友生活が気楽になりました。
一番しんどい時間は待ち時間ではないかな、と思います。上の子ですでに知り合っている人、近所の人、入園前の活動で知り合っていた人、かなりのママがいる中で、全員知らない人ばかりのポジションのママの頭に浮かぶ文字は「孤立無援」だと思うんですけど、一人知り合いができるだけですごく救われたりしますよね。
そこで起きるのが、ママ友ニコイチ問題だとおもいます。
私とMさんは幸いお互い良い距離感で今は落ち着けていますが、一方で破綻転園までしたママもいました。
「私たちニコイチだよね」
と相手のママに言ったと聞いて女子中学生のいうやつ!!!って激震したことも記憶に新しいのですが、そのママ友がやってしまったのは「ママ友と友達の一線を越えてしまった」こと。
たとえば長期休暇に遊ぼうと頻繁に誘ったり、子供を送った後にあちこち行こうと誘う。これが付き合いの長い友人(同じ考え方やその意見を言い合える)相手ならお互いの時間や金銭の余裕をある程度考慮して誘えるかな、と思うんですけど、たった数か月の付き合いのママ友にこれをやってしまったんですよね。
前回の記事でも書いた通り、専業主婦は暇ですが暇ではありません。
だけど、専業主婦の優先すべきことは家事かとは思うんですが、午前中に絶対しないといけない家事といえばせいぜい洗濯で、夕飯の用意や掃除なんかは子供が帰ってきてからでもできてしまうので、絶対ではないところが相手も似たような境遇なのでバレてしまっています。
だから断りにくいんです。お迎えもわりと早い公立の幼稚園ではよっぽどのことがないと用事で……なんて言えないし(いえばいいじゃん)。あと、相手が嫌じゃない場合は、楽しい場になるわけで家で孤独家事するよりも充実した(ような)時間が過ごせるから参加してしまうという……。
この状況に陥るのは「八方美人」の人間なんですよね。
私もそういう人間に入りますね。

反省会になりそうですけど、とにもかくにも時間を把握されやすいので、一緒にいたいタイプの粘着系のママ友と仲良くなってしまうと、精神的に削られてしまうということなんですよね。そうすると一般的な人は逃げる。距離をとることになると思います。(補足ですが、ずっと一緒にいたときの対応がストレスを増幅させていました。居心地のいいひとなら一緒にいて精神を削られることはないと思われます。)
取られた側は「除け者のされた」と感じやすい。なんせ彼女はニコイチだと思っていた相手に避けられた女子中学生です。
そもそもニコイチなんて思うからしんどいんだろうな。私もMさんと周りから仲良いよねと言われているときは、一緒にいないときモヤモヤしたくもないのにモヤモヤしてしまっていました。
日常的に隣にいる人がいないとき、なんだか手持無沙汰になった心地になっていたのです。そして、そういう志向になる自分に対して自己嫌悪していました。(円形脱毛症にもなりました!笑)笑うとこです。
いつも楽観視しがちな人生を送っていたのですが、節目節目でハゲていたので、あまりガーーーーーーン!!!!とはなりません。小学校のころからストレスが頭皮に出やすい人間です。
結果的に彼女のほうが逃げ出しました。中学生でいう引きこもりのポジションです。嫌なことから目を背けているというより、私は新しい道を探せなかったのかな、と思いました。フリースクールで楽しく過ごしている子だっているのに、彼女はニコイチのママ友を手放すくらいなら辞めようって園を離れたわけですが、離れたのは実際子供のほうなんですよね。友達もいた園を親の都合で……心苦しくなりました。

でも、これは正解だったかもしれない。小学校で再会するのに、とか近所だからそもそも会う機会あるのに、とか色々思うところもありますが、彼女はなぜママ友に距離をとられたのかを考えられなかったんですね。
だからストレスを感じる空間から逃げた。私は逃げることがダメとは思っていませんけど。壮絶ないじめのような漫画も見ますしね……逃げ出したいですよね……。
でも、彼女の場合は執着心を捨てて、あと今までの行動を少し顧みて、社会を広げたらどうにかなったんじゃないかなって、当事者じゃないから他人事のように思ってしまいます。

ママ友を友人の枠に入れると、家族との関わり込みになってしまうし物理的距離も近いから揉めたとき友人よりも圧倒的にしんどいし、それって子育てする上でとても大きな障害になってしまうよな~……と思います。
子供きっかけで親同士が嫌煙になる。よくある話ですよね。
同じ園にいるママとの関係をいきなり友ってつけるからきっとややこしいんですよね。
ママ友じゃなくて……ママ知人みたいな……(いきなり他人行儀)。

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