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オメデタ報告を喜べなかった日々
振り返ると、子供が欲しくて不妊治療をしていた時期は、人の妊娠や出産の報告を聞くのが嫌で、敏感になっていました。
喜んでみせないといけないと思うのですが、もう一人の自分(本心)が邪魔をするのでした。
そんな時、「私って心が狭いなぁ」とか「人のことで喜べないなんて、嫌な人間になってしまった」とか考えて、苦しかったです。
そんな私の苦しみをよそに、周りからは容赦なくオメデタ報告が入りました。
そして、出産祝いを買いに百貨店のベビー用品売り場へ行くのが、本当に嫌な時がありました。
「なんで不妊治療で大金を払っているのに自分には子供が生まれなくて、人の出産祝いのために安くないベビー用品にお金を払ってんだろう」
そんな事を考えながら、可愛らしい赤ちゃん用品を眺めていました。
「喜べない」ことに対する自己嫌悪を感じたくないから、なるべく何も考えないようにして、心を無にして、無難な商品を買って足早にお店を出ていましたね。
相手を前にして顔には出しませんでしたが、あの頃はオメデタ報告が本当に嫌でたまりませんでした。
だからといって世間になんとかしてくれとは思いませんし、オメデタ報告をするなと言いたいわけでもありません。
人間関係を続けていきたいのであれば、子供ができたことは隠せないことだし、どうしようもないです。
ただ言いたいのは、あの頃の私のように、今もこの世のどこかで人の妊娠や出産を喜べない人がいても、今のあなたの状況では、喜べないのは当たり前、自然だよってことです。
そういう時もありますよ。
だって人間だもの。感情や願望があるんだもの。
自分が辛くて余裕がない時に、人の幸せを祝わないといけないって、なかなか残酷ですよね。ドSの所業。
子供を産まないことを決めてからしばらく経つ今の私は、人の妊娠&出産を何の抵抗もなく「おめでとうございます」と思えるし、言えます。何年もかかりましたが、今となってはこの件で全く心がざわつくことはありません。
だから当時は本心から言えなかった「おめでとう」を、今たくさん言っておきます。
「おめでとう!!良かったね!」
自分の幸せは”自分にとってのこと”であり、それを人から祝ってもらえるのは当然ではなくて、ありがたいことなんだ、と。そして、それを祝わない人がいてもそれはその人の当然の権利だなぁと思うようになりました。
不妊治療は私にこんな当たり前のことを気づかせてくれたのでした。
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