コンテンツをちゃんと噛み砕かなきゃいけない病
タイトルは某ブログ記事のパクリですごめんなさい。
ある日、アイマスというものが嫌になった。
いや、正確には、アイマスに対して周りと同じくらいの熱を持てない自分が嫌になった。
周りを見ると、みんなとてもアイマスが好きなんだな、情報にとても敏感なんだな、と。
でも、僕はそうでもなかった。これが、劣等感を生み出した。
この感覚、あれと同じだなと思った。
対戦ゲームで上手くなれなくて感じる劣等感。
周りを見れば高レートやプロばかり目立つ。
ネット特有のバイアスの罠ってやつだけど、これの比較のものさしが「ゲームの上手下手」から「コンテンツへの熱心さ」に変わっただけ。
実力というフィジカルの問題から精神的な話に変わったから余計にタチが悪いかもしれない。
嫌ならさっさと離れればいいじゃん、となるが、これが中々難しい。
自分にもアイマスが好きであるという気持ちはあるから。
より具体的には、自分の担当(ということにさせてくれ)アイドルが好きだから。
これがむしろ今の心理状態には足枷となっている。
さらに言うと、あまり責任転嫁したくはないけど、
自分がアイマスの曲でDJしていた、というのも足枷だったのかも。
アイマスDJ界隈で一線級になるには、幅広くブランドに精通し、より多くの聴衆の期待に応えなければならない、と。勝手に自分に義務を負わせていた。
そんなの自分にできるわけないじゃん。
これがまた劣等感を生み出していた。
だから、少なくともアイマスDJを名乗るのをやめようと思った。
界隈とも実質絶縁だろう。劣等感こじらせていろいろ迷惑かけたし。仲直りできたとしても僕の劣等感は消えないからまたやらかすかもしれないし。
とはいえ、自分のDJ活動で一切アイマス曲を扱わないということはないだろう。やはりそこに対して好きの気持ちはあるのだから。
何かに対しての関心に、それは「好き」でやってるのか?「義務的」にやってるのか?それらの比率は?
コンテンツをちゃんと噛み砕かなきゃいけない病になっていないか?
自分の感情に違和感を感じたとき、これを意識して振り返るようにしたい。