ヴェネツィア
残念ながら訪ねたことはない。ツキジデスの「歴史」を読んだ後、なんとなく書店で見つけた本を読み始めたのであった。著者はアメリカの史学者であるウィリアム・H・マクニールである。
西ヨーロッパはアルプス山脈によって北と南に分けられる。従来の歴史書は北側の諸国、スペイン、フランス、ネーデルランドやブリテンを中心にヨーロッパの近代を描いてきた。
それに対して、本書は地中海貿易で栄えたイタリアの都市国家をヨーロッパ近代の淵源として描いたことによって読者に新たな視野を呈示する。歴史は科学であるとともにストーリー(物語)でもあるのだろう。
標準化を先取りした船舶の工業的生産、農具の発達による組織的な勤労の訓練、共和政体における近代的な行政技術などの先進的な技術的要因がヴェネツィアの優位性をもたらし交易による富と繁栄をこの都市国家に享受させた。
また、ヴァチカンからの独立志向と地理的条件によるギリシャ文化、オスマン帝国およびロシアとの外交的、商業的な関係により多元的な文明の混じり合う独特の都市文明を謳歌した。失われた古典ギリシャ文明を西ヨーロッパ世界にもたらしたのは、これらイタリアの都市国家であった。
しかしながら、ヴェネツィアの栄華も頂点を極めると、のちに相対的に衰えを見せた。ひとつの要因は船舶技術の革新とヴェネツィアが開発した行政技術の伝播によってスペインやフランスといった領域国家が15世紀頃から新興勢力として台頭したためであった。
もうひとつの要因は、ヴェネツィア内部の身分の固定化と世襲化、ならびに農民の困窮、都市市民間の格差拡大によって国家としての活力が低下したことによる。
さらにつけ加えれば、アルプスの北側ではデカルトなどによって切り開かれた機械的、数学的な世界観に基づく新しい学問が興っていたのに対して、ヴェネツィアではギリシャ文化を尊重して、あいかわらずアリストテレスの学問に留まっていた知的な革新の遅れもあった。
そうして、17世紀後半には徐々に対外的な影響力を低下させていったヴェネツィアではあったが、その都市文明はしばし西ヨーロッパ世界の憧憬をさそっていた。この都市国家が政治的に解体されたのはナポレオンの征服によるものであった。
一つの地域文明の盛衰の歴史として眺めたときに、いくつかの教訓が読み取れる。その文明の優位性をもたらした要因は永続せず、逆に革新の阻害要因に転化することもある。文明の活力は天災や疫病によるダメージを受けることがあるが、階層の固定化と利害による分裂は活力を削ぐ内的要因となる。革新を停滞させる他の要因は学問や技術、生活様式の保守化である。
ある文明が長期的に衰退の潮流に流されつつあっても、かつての先進的な生活様式やそれからもたらされるサブカルチャーは、諸外国に称賛され享受されることがある。それをもって、国家と国民の衰退の兆しを見逃してはなるまい。
(2015年8月)カバー写真は講談社学術文庫「ヴェネツィア」より
マクニールの著書を読んでから、興味を抱いたヴェネツィアだが、塩野七生に「海の都の物語」という本があることを知り、読んでみた。補足として要旨を記しておく。
本書は、蛮族の侵略を駆逐できなくなった西ローマ帝国末期、災禍を避けて海辺の僻地に集まった民草たちが、交易に活路を見出し、協力して強国を創り上げ文化を花開かせた奇跡のような物語である。個人主義的で自由だが内紛が絶えなかったジェノヴァと、民主制だが個人の突出を嫌い企業のように合理的、効率的に統率されたヴェネツィアはライバルとして争った。国柄と制度の優劣は何とも評し難いが結果的に残ったのはヴェネツィアだった。一貫した現実主義が弱者を勝者にしたのである。
さらに、1571年にヴェネツィアは欧州諸国や法王庁に呼びかけて戦ったレパントの海戦でトルコに勝利した。しかし、時代は都市国家の時代から君主を戴く領域国家が海外植民地を開拓する時代に移り変わっていった。またヴェネツィア国内では、17世紀から進んだ工業化による一部貴族の没落や新興階級の閉塞感のために、指導層の硬直化と社会の分断も見られるようになった。18世紀には最早強国ではなく華やかな文化のみが残ったが、終にはナポレオンの軍門に降って独立を失った。ヴェネツィア人が愚かだったのではなくて時の流れには逆らえなかったのだ。(2024年6月1日)