2022年に書いた記録📝

最近はIvy to Fraudulent Gameのライブに行くことがめっきりなくなった。

私がIvy to Fraudulent Gameのライブに初めて行ったのは高校2年生の時で
自主企画 揺れる0.6@高崎FLEEZ QOOLANDとのツーマンだった。
そこから7年半の間もう何十回何百回見たか分からないくらい
全国津々浦々色々な場所でライブを見た。

Ivy to Fraudulent Gameを簡単に表現すると人の心の底の闇を歌うバンドで
私が普段心の奥にそっとしまっている嫌悪感・背徳感・劣等感含めたすべての憎悪を正当化してくれた。
Ivy to Fraudulent Gameは私の心そのものだ~といつも思ったし、
無理な明るさや絶対的なハッピー感がなくて心地がよかった。

「素晴らしいものには喝采を、気に食わないものには中指を」の言葉の通りに
愛しているものは大事に大事にして 自分自身や自分の愛するものを脅かすものには牙向いて生きていこうね~と言ってくれて
嗚咽が出るほど泣いた夜が何度もあった。

ライブでは演者がだいたいブチ切れていて、泣いたりマイクを蹴ったりしていた。
演者の心が心配だったけど人間臭くてかっこよかった。
フェスやサーキットに出ると初見のお客さんはみんな呆然としてしまうくらい
ほんとうにかっこよかった。
ハッピーエンドではないけど最後はすこ~しの希望や光を見せてくれるのが
ぐっときて余計に良かった。

だったのに、
最新のアルバムSingin' in the NOWは
私には眩しすぎるくらい明るい曲調で、少々しんどくなってしまう。
歌詞の根本は変わっていないにせよ、雰囲気ががらっと変わった。
ライブでもハッピー感が溢れ出ている。

プライベートが充実して気持ちが明るくなっていることに加えて
売れるために方向転換したのかと思っている。
好きなアーティストが幸せでいてくれることはとっても嬉しいし、本望だし、より幸せになるため売れてほしいが、
好みの音楽という観点で考えると話は違ってくる。

最近の流行りの曲はTikTokでバズるために作られた、
中身のないペラペララブソングでまじでだっさーーーーーーーーーーーくて、
そんな曲が好きという人は歌詞なんて読んでなくて、人としてもペラペラなのに、
そんな人たちに聞いてもらうために作る曲に何の意味があるのだろうか?と思ってしまうが、
売れるためには必要なのか。。。仕事だもんね。。と思って自分を納得させている^_^、

自分の大事にしていたものが変わってしまったと思ったときは
嵐の「できるだけ」という曲を聴くが、全然だめだ

変わった状態を上書き保存したくなくて、好きだったIvyを忘れたくないので、しばらくライブに行けていない。


10月から始まるツアーで、私の誕生日にちょうどライブがあったので、

チケットを取った。

行くか行かないかは対バンによるが、

その日ばかりはブチ切れバキバキセトリで挑んでほしいな~~~


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