アメリカ大学院留学その2
こんにちは。今日は春めいた一日のホワイトデーでしたね。来週末には桜が開花しそうな暖かさです。
さて、前回に続き、四半世紀以上も前のアメリカ大学院の留学時のことを思い出しながら綴ってみたいと思います。
カルチャーショック
Ithaca Collegeというマンハッタンから4−5時間車でかかる、ど田舎にある学校でした。Cornell大学が有名ですね。小高い丘の上にあって、広いキャンパスでした・・・広すぎて、歩いて回るのは大変だったので、あまり隅々まで歩いた記憶がありませんw。丘を降りていくとIthaca Commonsというダウンタウンがあるのですが、一周するのに2分くらいでしょうか。本当に何もないところです。しかしIthaca gorgeという滝があったり、湖があったりと、秋の紅葉は美しいところでした。冬は、大雪が降ります。一晩で家のドアがあかなくなることもありました。正直に申し上げると、毎日大変すぎて行ったばかりのことはあまりよく覚えていません。忙しくて大変だった・・・という記憶はあるのですが、当初の記憶はあまりにもぼんやりとしていて、明瞭に思い出せないのです。とにかく、環境になれるのも、授業についていくのも、日常会話ですら大変でした。大学院で日本人は私一人でしたので、授業でわからないことがあっても確認できる仲間もいません。どの教科も分厚いテキストがあって、教授は容赦なく、1章から3章までを読んでレポートをまとめてこい、という課題を出します。私はただ英語の文章を読むことさえ時間がかかるので、レポートを書くどころか、読み終わる前に鳥のさえずりが聞こえ始める・・・ということもしょっちゅうありました。文字通り、枕を濡らさない日はない、というくらい、毎晩泣いてました。こんなに大変だと知っていたら来なかった!と何度も思いました。読んできた内容を元にディスカッション、なんてことも当然よくあるのですが、頭上をわからない言葉や話題が飛び交う感じ・・・とにかく、他の学生より私はかなり年上だったのですが、自分が赤ちゃん扱いされているようなそんな気がしました。また、授業中に、生徒たちが、食べ物や飲み物(シリアルをジップロックに入れたやつ、カフェテリアで買ったサンドイッチ、リコリスという黒とか赤とかのビヨーンとしたゴムみたいなお菓子、スニッカーズとか、ホント遠慮ない人たちです)を、先生の目の前でなんの遠慮もなく自由に食べるのを見るのは不思議な光景でした。日本人はそんなこと普通の学校で許されませんから、ものすごいカルチャーショックです。そして、グループを組んでプロジェクトというのがよくあります。数人でグループを作り、何か一つの課題をやり遂げるというものです。私はこれが苦手でした。うまく話せない、表現できない、発言しない、こんな日本人と組みたがる人はいません。さささっと皆がグループを作る中、ど、どうしよう、誰か一緒にやってくれないかな、といつも誰かが声をかけてくれるのを待っていました。それでも、優しい人が声をかけてくれたり、他の国からの留学生と組んだり、あぶれている人と一緒に組んだりw、なんとかしのぎました。また、今日は天気がいいから、外の芝生で授業しよう!なんてこともありましたし、今日は私の誕生日だからと誕生日の本人が大きな四角い青いケーキを買ってきたりして、皆に分けてくれたりと、とても自由な雰囲気はまさにアメリカ!という感じでした。
学校でよく行った場所① ライティングセンター
学校の中で最もよく通ったのは「ライティング・センター」です。これは、Undergrad(学部生)の英語専攻の子たちが、バイトでエッセイの書き方などを無料で指導してくれるところです。10歳近くも年の若いアメリカ人の女の子たちにエッセイを見てもらい、文法や単語など徹底的に直してもらうことができるのです。毎日最低でも1時間、宿題が多いときには2時間でも3時間でも、ライティングセンターで空いている時間にサインアップして、私のレポートを徹底的に直してもらいました。細かい a とか the、文法が日本で習ったのとは違ったり、毎回真っ赤に直されました。おそらく100本以上は見てもらったと思います。彼女たちがいなければおそらく今の私はない、と断言できます。そのくらい、ライティング・センターには毎日お世話になりました。私の専攻はコーポレート・コミュニケーション(Corporate Communications)で、文系のようですが、実はサイエンス分野だったのでAPA (APA style is a set of guidelines for writing in psychology. It is the genre of writing that psychologists use to communicate about their research with other researchers and practitioners.)と呼ばれる文章作成の決まりに沿って論文を書くことになっていました。そのガイドライン本を肌見離さず持って、それに従って書きます。例えば、文頭は何文字空けるとか、文末は何文字空ける、引用文はこう書く、などなどかなり細かい決まりがあります。でも、あの時あれだけ英文を書き、直された経験があって、今こうして外国人のエグゼクティブに対し、英文でスピーチの原稿を書いたり、社員向けメッセージの原稿を書くのに大変に役に立っています。
学校でよく行った場所② キャフェテリア
いわゆる学食みたいな場所がキャンパス内にありました。かんたんなサンドイッチやスープ、スナックなどが食べられたり、皆がおしゃべりしたりするところです。私のお気に入りは、カリフラワーのフライでした。ズッキーニのフライもありました。今思えば不思議な食べ物ですが、タルタルソースみたいなディップがついていて、2ドルくらいだったかな。安い割に美味しいのと、ポテトフライを食べるよりは罪悪感がなかったので、小腹が空いたときはよく食べたものです。行った当時、まだ友達がいなかった頃、日本語が恋しくてwキャフェテリアで誰か日本人いないかなーとよく探し回ったものです。大学院には日本人がいませんでしたが、学部生には数名の(と言っても10名以下)の日本人がいました。そこで、日本からの留学生たちと知り合いました。日本語が話したくても話せない鬱々とした状況だった私に、彼女たちの存在は救いでした。中でも気があったのはYukiさん。明るくて英語が堪能な彼女のおかげで、彼女の友達とどんどん友達の輪が広がり、香港からの留学生、マレーシアからの留学生など色々知り合いが増えていきました。学部生と言いながらも、日本の大学を卒業して来ていた彼女は年齢も比較的近く、帰国して20年以上経ちますが、今でも仲良くしています。
まだまだ長くなるので、次回に続きます。