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全ては自分の中にあってどこにも何もない

長年にわたる妊娠出産育児により、途切れ途切れにしか記憶がない重労働の自宅軟禁の日々に放り込まれ、大好きだったライブ(をはじめとした大人の活動全て)をいきなり取り上げられた私にとって、芸人さんのテレビとラジオは世界と自分をつなぐかすかな仏様の糸でした。妊娠出産育児なんてテメェで好きで選んだことだから誰にも文句を言える筋合いではないのだけど、慢性的に限界で寝不足で涙目で必死の毎日で。そんな中、とにかく、大人同士がする子供に関係ない話題についてのスピードと知性のある会話に心底飢えていて、窓のわずかな隙間に口をつけて外の空気を呼吸する囚われ人のように、何かにしがみついていたのだと思います。

天竺鼠の川原克己さんが大好きで、機会があれば見に行っていました。
川原さんのyoutubeチャンネルにて、国崎さんに出会いました。

え? 川原さんが、信じられないくらいにメロメロになっている・・・

見たことないくらい、これ直視していいんかなってくらいに、
ストレートにデレてる。
で、昨年のM-1の「仏が沼にはまったよ」の人だと気付きました。

↑ このスーパー名作コラムの「前世の話」に出てくる川原さん、剥き出しの慈愛と友愛に満ちてて、あの川原さんがよく掲載OKしたなと思いました。

(その後も、千鳥の大悟さん、笑い飯の哲夫さん、西田さんなど
この人がこんなに無防備な笑い顔するのか!と言う、それぞれのファンとしてはかなり驚きの瞬間がありました。
国崎さん、宝物みたいな人なんでしょうね。)

なので「川原さんの(あと大悟さんの)くにちゃん」という人、
という認識でした。

正確に言うとその数年前に、ランジャタイの名前自体はゴッドタンで聞いたのですが、その時のネタはそれこそ見る側の体調の問題なのか、さほどかな・・・という感じでした。
その後、近所の駅の公民館で定期ライブをしているらしいと聞いて驚き(本当に母親学級とかやってるただの公民館なので)ちょっとググったら、あまりにもファンが熱烈すぎて、これ新参は入っていけないやつだとそのまま諦めました。こう言う世界にはもう入っていけない自分を確認して悲しく、それっきりでした。

(同時だったか?に天才として紹介されてた「曇天三男坊」さんは、ドンちゃんと言う名前だけずっと覚えていて、先日TCクラクションとしてようやく実物を見て、この人か!となりました。天才というワードだけで想像していたのより百倍端正なコントをなさってました。本当であっても、誰かのことを「天才」とか言いすぎるのは、いいことだけではないのかもと思いました。)

国崎さんが誰なんだかもっとはっきりと像を結んだのは、M-1でした。テレビの良い画質で顕わになる凄まじい演技力も、卓越した物語性ももちろん圧倒的だったのですが、ネタ以外の端々に覗く川原克己イズムへの尊敬に、胸がいっぱいになりました。

くにちゃんが川原さんをM−1決勝に連れて行ってくれたような気がしました。(「いや本人来ないんかい!」という川原さんのボケかも)

そして昨年末、近所のホールでランジャタイが出るライブがあり、
そこで初めて生の彼らを見ました。
そして、自分の認識が甘々でぼんやりしていたことを思い知りました:

この人たち、別格だ ていうか国崎さんじゃない方もすごいんだ

誰かがこんなにウケてるの見たことないくらい、圧倒的にウケてました。和牛ラッシュ(ていうのか?いつものあれ)に合わせて、ホールの空気全体がうねっていたのです。痙攣するように笑うというか、笑わざるを得ない、誰も手をつけられないという感じになってました。ネタは多分「PK戦」だったかと思います。一挙手一投足に悲鳴みたいな笑いが上がってました。笑ってはいるけれど、初見の無茶苦茶な話がすべてクリアに理解できるすごさに圧倒されました。なんだこれ。こんなことができるのか。

ネットやテレビで覗くことしか許されない、私にとってはもう関係ない世界だと思ってたライブの世界が、すごい勢いで目の前に戻ってきました。

長い間蟄居していたおかげで、長い間ライブの世界から引き離されていたおかげで、「すごいことになってるランジャタイ」という化け物にいきなり出会えるという奇跡が起こりました。神様ご褒美ありがとう。

「全ては自分の中にあってどこにも何もない」は藤枝静男の小説『田紳有楽』(1976) にある禅公案です。

モグリ骨董屋に身をやつして浜松の街裏の二階屋に日を送っている「菩薩の化身」である主人公と、彼によって庭池に漬けられた陶器たちの物語。池に漬け込まれた陶器のうち、グイ呑みは金魚のC子との愛欲にまみれ、抹茶茶碗は人間変身術を会得せんと大蛇のもとへと通い、飛翔の術を操る丼鉢が空を自由に飛ぶ。

みたいな話です。
久々読んだらふざけてんな。
そんで野生爆弾でも天竺鼠でもない、ランジャタイっぽいな。

ランジャタイワールドの、ファンタジーに任せてすごい勢いで飛躍しながら、自分の現実から決して離れることがない、温厚で健全で、何も負けない柱が一本通った存在感を言い表していると思います。

今この場所とファンタジーが自由に出入りする物語を
信じられないくらい勘がいい二人が、 
リズム感と運動神経のお化けみたいな圧倒的な技術力で描く。
マイク一本立てときゃ本当に何でもできるんだね!(「何でもしていい」ではなく)ってことを見せてくれている。
そして!今まさにスターが誕生しようとしている。

同時代を生きられるありがたさを噛み締めています。