以前に、ChatGPTのモバイルアプリ上で、Advanced Voice Mode(高度な会話モード)を使ってGPT-4oと長い会話をしたことがあります。
今回は、OpenAI o1 pro modeでAdvanced Voice Mode(高度な会話モード)を使って、芸術史について教えてもらいました。
ChatGPT Pro(月額200ドル!)では、o1が無制限で使えるとなっていますが、o1 pro modeについては、使用制限があるらしく、このチャットでも、おそらくチャットごとのコンテクスト長制限に達したのか、途中から会話を続けることができませんでした。
いかに、会話のログを記します。
読めないレベルの誤字脱字など、若干修正していますが、ほぼ会話を丸ごと転記しています。
会話のログ
User
私に芸術史の講義をしてください。
Assistant
User
西洋美術の発展におけるサロン文化の影響とそれから東洋の文化の影響について教えてください。
Assistant
User
西洋美術と東洋美術を対比的に考えると、どのような共通点や差分があるのですか?
Assistant
User
それぞれの文化的背景を理由として異なる表現があるということはわかるのですが、なぜ共通の表現があり得るのですか?
Assistant
User
例えば、西洋、東洋、それ以外の土地の美術、芸術史において様々な文化的な背景が表現であったりモチーフであったりに影響を与えるということは想像に難くないんですけれども、 なぜその中に普遍的な、人間が持っている普遍的なモチーフというようなものが浮かび上がってくるのか、芸術史とか美術史の分野においてはどのような考察がなされているんですか?
Assistant
User
人類共通の普遍的なテーマ、死とか自然への恐れであったりだとか、人間同士の交流であったりだとか、 そういうものが芸術において取り上げられるモチーフになるということは非常に理解しやすいんですけれども、 そういった自然主義的な芸術ではない芸術の潮流というのは、いつごろ、どのように生まれて、それはどのように発展してきたのかということを教えてくれませんか。
Assistant
User
印象派などの芸術を見てみると、それまでの自然を 写実的に描写するということを行わなかったという意味では、自然を捉え直していると言えると思うんですけれども、 そこで扱っているモチーフっていうのは自然的なものであったりだとか、 信仰であったり、超越的な感覚であったりというような、人間が古来から持っていたような自然主義的な テーマに基づいていると思うんですけれども、そうではない、全く自然主義の文脈を持っていないアートのようなものは存在しないんでしょうか。
Assistant
User
ありがとうございます。確かにそのような説明に納得いく部分もあるんですけれども、人間の概念であったり感情であったりを扱っているという時点で、自然主義的だとも言えると思うんです。 そうではなくて、人間が古来から自然に感じてきたような体験の中から生まれてくるものを自然主義として定義すると、そうではないアートというのは存在しないのかという疑問が私の中にあるんですが、それについては考察することができますか?
Assistant
User
やはり芸術というものが人間というものの体験の枠から 逃れられていないように思うんですけれども グネサンス以前の芸術運動というのは あくまで神の啓示を アーティストが形にしているというふうに捉えられていた、つまりアーティスト自身の
Assistant
User
ルネサンス以後の芸術が人間の体験の枠を出られていない、多くの部分で出られていないような考察をしたんですけれども、 それ以外の、つまり、例えば機械の自動的な動きの中から生まれるような芸術であったりだとか、 全く人間の体験とか意図というものとは無関係なもの、それはそういうコンセプトだという話であって、 これまで人間が作ったものをアートと呼ぶのかもしれないですけれども、 完全に人間の体験や意識を離れたようなアート的な表現ということは、これまでやり得たのでしょうか。
Assistant
User
例えば、ジェネラティブアートとかメディアアートのような比較的新しい分野において、人間の開在を完全に否定するようなアート運動であったりだとか、そのような作品制作が行われた作家みたいなものはいるんですか?
Assistant
User
もう少しその部分について詳しく教えて頂けませんか?
Assistant
User
この分野についての考察をお聞かせください。
Assistant
User
ありがとうございます。新しい芸術分野においても、結局、アーティストと作品の関係性であったりだとか、アート作品と鑑賞者の関係性であるといったような、あくまで人間が存在するということを前提としていると言いますか、 人間同士のインタラクションを媒体するものとしてのアートということに留まっているように思うんですけれども、もっと人間とは関係なく、自動的なのか、自律的に行われるアート運動ということは、将来にわたっても想像することが難しいのでしょうか。
Assistant
User
もっと超越的なアートの形態であったりだとか、 今後の未来におけるアートの再定義というようなことを考えたときに、 どうやって人間はこの既存のアート、つまり古典的な芸術からの文脈を常に 共有しているような領域から出て、新しい領域に踏み出すことができるのでしょうか。
Assistant
User
少し視点を変えてですね、いわゆるアウトサイダーアートと呼ばれるような美術、アートの専門教育を受けていない人たちによるアート活動というものがあると思います。 それはアート活動と呼ぶのかという視点もあると思うんですけれども、 例えば、全く美術教育を受けていないがアーティストとして活動している人ということも考えられますし、 全く美術教育とは関係ないところで発生しているが、客観的に見れば一連の文脈を持ったアートであると言えるような民芸であったり、伝統的な儀式における装飾であったりだとか、 何か壁画のようなものなのか彫刻のようなものなのか、人々が営みの中で作り上げてきたような一連の造形であったり表現というものがあると思うんですけれども、 そういうものに回帰するというか、一旦これまでのアートの文脈みたいなものから切り離してですね、もっと人間の中にある根源的なエネルギーというか、 そういう衝動みたいなものであったりだとか、自然に対する威風であったりだとか、何か人間同士だけではなくて自然とインタラクションするために作り上げたような表現みたいなものに人間が回帰していくためには、どのようなハードルがあったり条件を満たす必要があるんでしょうか。
Assistant
User
結局そのアートというものはですね、人間の文化であったりだとか社会構造であったりだとか ヒエラルキーみたいなものを前提として 芸術分野としてですね、一定の文脈を保持しながら発展してきたということであって もともと路弱のものであったような伝統的な表現であったりだとか、人間のような生活のためのデザインのようなものであったりだとか それらにも属さないような、ある個人の人間がアートの教育も受けていない、何の文脈も持っていないが表現したいというような 衝動の中から生まれてきたようなアート作品というようなものとは決定的に違うというか、文脈をコトにしていて それはお互いに刺激し合ったりはしていると思うんですけれども 全く交わらない領域においてこれまでも発展してきたし、これからも発展していくというようなふうに評価できる…
Assistant
User
もっとアートというもののこれまでの文脈から外れたような可能性というものが本当は考えられるのだと思うんですけれども どうやってそこの領域に人々はたどり着くことができるのでしょうか
Assistant
User
最も破壊的なアート運動にはどんなものがありますか?
Assistant
User
最も社会派というか政治的なアート運動にはどのような影響を受けますか?
Assistant
User
これらの批判的なアートについては、それぞれの活動領域が違うとは思うんですけども、共通する文脈のようなものはあったりするんでしょうか?
Assistant
User
アート批評について聞かせていただけませんか?
Assistant
User
最も可烈なアート批評運動というのはどういうものがありますか?
Assistant
User
このような過激な運動が生まれた背景にはどういうものがあるのか?
Assistant
User
アートにおける批評や文談、言論のようなものはどういう経緯をたどってきたのでしょうか?
Assistant
User
特に現代のインターネットやSNSの文化であったり、それから最近では、AIのようなジェネラティブアートの分野において、 芸術というものが創作することと干渉することの垣根が非常に曖昧になったというふうに考えられるかなと思うんですけれども、そのあたりについてはどのような考察がありますか。
Assistant
User
さまざまな表現領域において、表現するための技術がコモデキ化してたくさんの参入者が増えたというところが特に重要です。
特に最近では、生成AIのような技術によって、全く技術に関する教育であったり、学習をしたことがない人間が高度な表現を行うことが可能になりました。 そういうようになった時に、人間は何を表現するのかというふうに考えた時に、これまでは何か自然に対する恐れであったりだとか、自然ともインタラクションの中で生まれてきたようなインスピレーションを表現したりだとか、 宗教上の要請に従って表現したりだとか、様々な要件があって表現をしたと思うのですが、そうではなくてもはや自らが干渉したいものを表現するというような状態になってきているのではないかと思うのですが、 そのような考察であったり議論というのはこれまでにされたことがあるのでしょうか。
Assistant
User
現代においてアート作品を制作すること、アート作品を所有すること、アート作品を鑑賞することということをですね、具体的に個別的な活動としてですね、区分したり分類することが可能なんでしょうか
Assistant
User
アートの製作者とアートの所有者とアートの干渉者というものを分類したり 個別の論として扱ったりすることがあります。
Assistant
User
アートの製作者、アートの所有者、アートの鑑賞者の それぞれの独立性や関係性について、もっと批判的に深く考察してください。
Assistant
User
この制作者、アートの所有者、アートの鑑賞者の3者の関係において、 経済的な活動において上流に維持し、経済的な有利を保つというのは、 どの人たちになるでしょうか。
Assistant
User
アートの制作者、アートの所有者、アートの干渉者という 3者の関係においてこれまで議論を進めてきたんですけれども 新しい視点として、経済的な影響力を持つ人々として アートの流通を伝える人たちというものが 登場したわけなんですけれども アートの流通ということについてですね これまでどんな議論が繰り広げられてきたのかということを 簡単にまとめてくれませんか
Assistant
User
さらに考察を深めるために、アートの流通の歴史について教えてくれませんか?
Assistant
User
なぜオランダにおいてアートの流通が発展したのですか?
Assistant
User
17世紀のオランダの代表的なアーティストというのはどういう人がいますか?
Assistant
User
中産階級の台頭とアート市場の発展についても少し詳しく教えてください。
Assistant
User
プロテスタントの台頭とアートの流通の発展の関係について
Assistant
User
なぜプロテスタントではカトリックのように教会からの発注が減ったのですか? 発注をしなかったのですか?
Assistant
User
一方でプロテスタントの教会にも、その教会に必要な物品であったりだとか、当然祭壇のようなものはあるんでしょうから、そこのために働く工芸家なのか職人のようなものは必ず必要だと思うんですけれども、そのあたりはどのような変を遂げたんでしょうか。
Assistant
User
贅沢さと質素さであったりだとか 実用性と装飾性のような対立というのは、アートの歴史においても様々あったと思うんですけども、 特にカトリックとプロテスタントの考え方の対立によって生まれてきたアートの潮流について もう少し詳しく教えてください。特に核心的な部分について知りたいです。
ここで、チャットごとのコンテクスト長限界に達したと思わます(下記画像参照)
以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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2024月12月10日 公開