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ダサいの証明

幸せが増えると書いて幸増(サチモス)と読もう、なんてしょうもない事を友人と話していたら、だんだんサチモスが好きになってきて、そして狂ったようにSuchmosを聴いた。DUMBOという曲について検索しようとしたら「Suchmos ダサい」と勝手に出てきてびっくりした。

第3次シティポップブームの夜明け

私の記憶ではSuchmosというと、最初は意識高い系のオシャレな若者たちがよく聴いていて、そのあと「STAY TUNE」が自動車のCMソングになって、そこから一般にも流行った。まだvaporwaveやcity popが今ほど流行っていなかった時代の話だ。

当時私の髪を切ってくれていたおじさんが「サチモスいいですよね」と言っていたのを覚えている。私の母もSTAY TUENが好きだった。私もあの曲をいいと思った。つまり、私たちのような若くない世代にもウケたわけだ。

評価の変化

しかし、どういうわけかSuchmosの世間的な評価はその知名度と反比例した。NHKによるサッカーワールドカップの応援ソングを発表したころには、私の周りにいる若者はこぞって彼らをディスった。「ジャミロクワイのパクリだ」と言った。

なぜ若者にとってかっこいいものだったSuchmosはダサいものになったのだろう?私の同僚に至っては、音楽としてSuchmosを好んで聴いていることを半ば恥じている者さえ居た。彼らの作風もある程度は変化したが、おおむね変わらない。そこには芸術的な感性の変化ではなく、社会的なナワバリ争いがあったと私は考える。

ニッチが行ったりきたり

つまりどういうことかというと、若者たちがかっこいいと思ってSuchmosを聴いていたら、自分たちのテリトリーだと思っていたところに親の世代がやってきた。Suchmosは瞬く間に「ミーハーなもの」になった。

そのうえNHKという存在がビビッドな若者たちに拒否反応を起こさせたのかもしれない。「オトナに買われちゃったね」と。ここで大切なのは、バンドや楽曲そのものが大きく変わったわけではないということだ。

若者たちだけの中でミーハーだったらまだよかったかもしれない。若者の親の世代が入ってくるのは、彼らにとって少し耐え難いことだったのだろう。

味覚が変わるのか料理が変わるのか

ただ、私はひとつ疑問に思うところがある。最初にSuchmosの音楽を「かっこいい」と判断した人は、そのあとSuchmosのCDを捨てるのだろうか?

ANARCHYも著書の中で「感じたことは素直。そこに嘘はない。」と言っている。そんなANARCHYはメジャー契約をした後でも「ダサいもの」にならない。なぜかというと、彼自身が反抗のシンボルのような存在だからだ。

服の場合には、どうやってもパブリックな気遣いを避けることは不可能だが、好きになった音楽を恥じたりせず、流行が廃れても聴き続けたららいいと私は思う。