だっせぇ生き方してます。どうも。


今まで口にしてきた言葉と、躊躇してせずに脳内に留まった言葉。

どちらが多いだろうか。

個人的なものでは、留まった言葉の方が多いだろう、と思う。

それが、心配かけまいという意図でも、自分の印象操作の為でも、

ただ面倒くさいということでも、だ。

幼い頃、私はよく怪我をすることが多かった。

外でよく遊ぶ、そんな幼少期ではない。

どちらかと言うと室内で折り紙だ、読書だ、を好んでいた。

なんなら外で遊ばなくてはならない義務的な時間は割と苦手だったし、
遊具は他の人が遊んでいると距離を取ったり、自分が遊んでいて人が来たら逃げたり、と
なんだかその時間は憂鬱だった。

でもそんなことは脳内で留まる言葉の一つだった。

なんてったって私も可愛い可愛い幼稚園の子で居たかったから。言わば印象操作、だ。


 


小学校。骨折をした。一年時の骨折は右腕だった。こけただけだ。


三年時、右足を骨折した。何となく理由は伏せた。


縄跳びで着地した。そんな風に伝えた。縄跳びするような元気な人間ではなかったが。


縄跳び、というのは只の口先が勝手に動いた結果であって、真実はただ歩いて捻っただけだ。


恥ずかしかったから嘘をついた。今思えば骨折に羞恥も何も、と思うが。


その時は歩き、捻り、骨折、という起承転結が何だか駄作て恥ずかしくってしょうがなかったのだ。

四年時、又怪我をした。剥離骨折かなんだかだった気がする。
もうここまでくると笑われた。まあ私は運動が微妙にできなかったため笑われることもしばしば。


それが悔しくてしょうがなくて、勢い余ってロイター版に自分からぶつかっていった。

意識去り行く中感じたこと、それは
あ、なんて言い訳したら格好いいかな、ダサくないかな。

何処までも言い訳したがるそれが一番ダサいよ、と幼き私に口にしたい気分だ。


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