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ゴールデン街、シネストーク、愛の名残(2025.1.21)

ゴールデン街5番街にある酒場、シネストークが、2025年3月19日をもって、約30年の歴史に幕を閉じることとなった。

元ピンク女優にして現在はエッセイストとしても活躍する、田代葉子さんのお店。

閉店の経緯の詳細については承知していないが、報じられるところなどによれば、建物の持ち主が亡くなり、入札にかけられ、新規に購入した建物の持ち主からの明け渡し要求に応じた形であるらしい。

それほどマメな常連というわけでは無く、常連としては若輩の末席でしかないが、20年近く顔を出している身としては、率直に、残念という気持ちは否めない。シネストークは、ゴールデン街の中でもことさら、年齢・性別・趣味・嗜好・職業等々、自分がこれまで生きてきた世界では出会えない人々と出会えた場所だと思う。

葉子さんはじめ、曜日ごとに異なる女性スタッフがカウンターに立つ、今では多くの店では当然の、しかし、当時としては新しいシステムのお店だった。お芝居、写真家、編集者、フリーター、会社員など、店員のバックグラウンドは様々。

それに合わせて、常連客の素性も様々だ。ぱっと思いつくままに思い出を連ねよう。

ゴールデン街の某古い店でビール一本5000円取られたとぼやく若い客たちに対し、「バカヤロー!あの店で5000円払って飲むのは、俺たちのステータスだったんだ。がたがた言うな!」と一喝するP氏の気迫は凄かった。そんなP氏も、コロナ禍の時期に亡くなった。

タイガーマスクのお面にピンクを基調とした奇矯な装束をまとい、ラジカセの音を響かせながら街を闊歩する新宿タイガー、ふだんは男性に向かってほとんど話しかけること無い彼から、「お前は顔はまあまあだけど心がゴキブリだ!」と面罵されたことも、また愉快だった。

小中学生の頃愛読した『ロードス島戦記』。そのイラストを手掛け、今ではアニメ監督などで押しも押されぬ存在である出渕裕氏と出会ったのも、シネストーク。自分の癖や人生に影響を与えた作品を手掛けた人と出会う、何とも言えない緊張感ときたら無かった。

当時シネストークで人気の店員女性が約20歳離れた年上の常連客男性と結婚したことが、周囲から驚きと祝福、そして男女双方に対する若干の嫉妬をもって迎えられたのも、微笑ましい記憶だ。

また、店での話では無いが、従業員同士の些細なことでの仲違いの連絡を受け心痛める葉子さんが泥酔し、他店で見かけた自店の従業員に対し、会話の流れと全く関係ない脈絡で、「あなた、悪口言い過ぎなのよ!」と絡んだ姿と声は、今でも目と耳に残っている。もちろん、葉子さんはこの言動を覚えていない。

その他、大小のエピソードには事欠かない。シネストークで出会った人々とは、他店でも会うし、店や街の外で遊びにいくこともそれなりにある。何なら、出渕さんからは、アニメ作品の協力の話をいただいた。それもこれも、葉子さんとその店の繋いでくれたご縁。

そう、そこは、なんというか、葉子さんの愛に包まれるような店であった。

それは、東日本大震災の復興支援業務に携わる夫の修さんに寄り添い、東京を離れ、気仙沼に行ってからも変わらない。葉子さんは、修さんの仕事に寄り添い、気仙沼から、やはり震災で苦しんだ熊本、ついで福岡に住む。葉子さんが新宿のお店に立つことはほぼ無くなった。

それでも、シネストークには、葉子さんの何とも言えない存在感があった。

ただ、葉子さんを「葉子ちゃん」と呼べる、酒飲みの先輩たる古参の常連客の方々は軒並み還暦を過ぎ、誰かが物故したとの知らせが毎年のように共有される。時は、移ろう。

今幕を閉じようとしているシネストークは、葉子さんの愛の残照なのかもしれない。店の階段の壁に飾られている、大きなジョンレノンのパネル。店の基調低音としての『Imagine』。

Imagine all the people
Living for today...


幸いなことに、シネストークと同じく田代葉子さんがオーナーを務める、ゴールデン街の1番街の二号店、シネストークyoyoは、変更なく営業を続けるとのこと。

無くなる店もあれば、残る店もある。

無くなる店との迫りくる最後の時間を惜しみつつ、そして、そこでの思い出を反芻しつつ、残った店での人々との出会いを大切にしていきたい。そして、この場所を作ってくれた葉子さんに、改めて、感謝と労いの思いを捧げたいのである。

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masaru sakamoto(坂本 勝)
ありがとうございます!!