【読書】『ギャラクシー銀座』感想
『ギャラクシー銀座』(長尾謙一郎)は、最も好きな漫画の一つかもしれない。
主な登場人物は、おそらく、北古賀家の人々。
まず、10年間自宅で引きこもりを続ける竹ちゃん(北古賀竹之進)。そんな彼は、自らをロックミュージシャンに擬し、毎夜ギグと称するイタズラ電話に精を出し、相手のエゴを炙り出しては絶叫。「己のパンツは宇宙一穢い! 己のパンツは宇宙一穢い!」。そして電話機を叩きつけては破壊する。
そんな息子の竹ちゃんを見守るマミー。竹ちゃんにお小遣い(百万と五円。「社会とご縁がありますように」)や電話機を惜しげもなく与え、竹ちゃんのためなら渋谷で覚せい剤を買う危険を冒すこともいとわない溺愛ぶり。ママさんコーラスの練習中に、しょっちゅう宇宙人を嘔吐する(「おぉぉぜぇぇぇぇぇ」)。
父上は、国民的シャンソン歌手ココ北古賀。彼が莫大な富を稼いだ築いた北古賀家の邸宅は、彼の代表曲『チンモルケ』の名をとり、「チンモルケ御殿」と呼ばれている。かつらと入れ歯の老人ではあるが、オタマジャクシ型のコカインを鼻から吸引するなど、不気味な存在感を醸し出している。
基本的には、北古賀家の人々を中心に話は進むが、随所にちりばめられる漫画としてのアフォリズム。
屋形船を二人で貸切るチャラ男たち、六本木のペットショップで放尿する大江戸ボンバーズのボーカル、走るホストクラブ「ニューファラオ」、男のジム「サクセス」、地球に帰還してサルになってしまった宇宙飛行士の豆村さん、栗ひろし、ブギウギシスターズ、ハスキー美々とぽーやん、自称エビちゃん似のコニー。そして、作中のキーワードとして角度を変えては何度も登場する「竹やぶ」。
その一つ一つが目を奪うに十分な奇矯さを持ち、読者のハートに強烈なインパクトを残していく。そこから意味を感じ取るのは正直困難で、ただただ身をゆだねるしかない。
一話完結ではなく続き物ではあるのだが、一貫したストーリーのようなものはほとんど見当たらず、行き当たりばったりのような話が印象だけを残して一枚一枚と積み重ねられる。竹ちゃんがコニーとの逢引のために10年ぶりに外出し、這う這うの体で帰宅してから、話は畳みかけるように収束する。
マミーと竹ちゃんの二人で、竹やぶに行って帰宅。マミーによるココ北古賀殺害の発覚、部屋に火をかけ竹ちゃんをも拳銃で殺そうとするマミー、マミーに反撃して銃を奪うも、マミーの殺害と自死との間で揺れ動いた結果、「分かったんだよ・・・宇宙の真理が・・・」と、マミーに銃を返して銃殺される竹ちゃん。丘の上で燃え上がる「チンモルケ御殿」の絵をラストに、物語は終わる。
10年間自宅に引きこもり、マミーやココ北古賀の意思に翻弄され続けた竹ちゃんにとって、悲惨な結果に終わったとはいえコニーとの逢引は自我の再生であり、マミーへ拳銃を返して殺されるに任せたのは、親子関係の清算であり、自分の意思の再生を通じた、自由と尊厳の獲得だったと思う。作中不安に苛まれ続けた読者としては、竹ちゃんのそんな姿に一抹の救いを感じてしまう。
ともあれ、だ。
親子、家族、恋愛、自由、尊厳。そんな人生の論点が、荒唐無稽なシュルレアリスムの大海に浮かんでは明滅する。読むほどに理解が拒絶され不安が募る中、最後数話の急転直下と残る微かなカタルシス。『ギャラクシー銀座』こそ、漫画史に禍々しく咲く仇花だと思うのである。
(2020.10.2)