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「暮らし」はつねにイマココにある

今日はじめて、noteにアカウントを作って記事を書き始めたら、募集中のテーマ「暮らしたい未来のまち」の締め切り日だと知った。東京から長野県安曇野市に移住を計画しているブログを書くために始めたnoteなので、初日から、本質的なテーマを与えられたように感じたので、書いてみることにした。

なぜ安曇野市に移住したいのか。子どものころから森の中のログハウスで暮らすことが夢だった。生まれ変わったら樹木になりたいとも願っている。  出身地の栃木県の那須の別荘地エリアでは、主に都会から来る方々が素敵なログハウスを構えていたけれど、専業・兼業農家が多い地元民にとっては、別世界のものだった。朝早くから夜中まで働き詰めの母親の姿と、夜になると飲んでくだをまく父親の姿、たまの休みには、近くのスーパーマーケットに行くのが特別なことで、山林や田畑は仕事場という「暮らし」が日常だった。そんな私が、なぜか東京で学校に行き、結婚して、仕事を得て、子どもを産み育て、「暮らし」の拠点が狭いアパートとなった。隣の人のくしゃみの音が聞こえる距離での生活は、はじめは違和感と新鮮さがあったが、いつの間にか当たり前になっていた。

母親になって「暮らし」にたくさんの疑問が湧いてきた。

なぜ、夫には会社という居場所があって、私は家の中だけなの?田舎では、近所に親戚や知り合いがたくさんいたのに、妊娠してから引っ越しした新居には誰も知っている人がいない。ひとりで赤ちゃんと向き合う「暮らし」が、こんなにしんどいとは思っていなかった。でも、妊婦教室で知り合ったママ友、同じアパートの子育て中の家族、大家さん、駅の近くの居心地の良いカフェ、子どもの友達のママ、保育園の先生と同じクラスの友達家族、などなど、少しずつ知り合いが増えて、「暮らし」がいきいきとしてきた。

でも、家事と育児は終わりがない。農家にも休みはなかった。会社勤めの夫は、夜遅くまで忙しそうだけれど、休日がある。母親業にはない。「○○ちゃんのママ」という呼び名がメインになってしまった私を名前で呼んでくれる人と話したい、「私だけの時間と場所」が欲しい。同じことを繰り返しているような規則正しい「暮らし」には、ぼんやりできる余白が必要だと知った。

パートながらも仕事を始めて、私だけのすきま時間をつくれるようになった。職場の昼休みに古本屋さんを覗いたりたり、乗り換えの駅で喫茶店に入ったりできるだけで嬉しかった。家事も育児も仕事も、責任をもってこなすべきだと思い込んでいたから、朝から晩まで、やらなくてはいけないことが山盛りで、がんばり続けて9年くらい経ったころ、無性に野山で寝ころびたくて仕方ない気持ちになって、突然涙が出るようになった。「うつ状態」だから休みましょう、と精神科医が言ってくれた時は、ほっとして涙が出た。お金をたくさん稼いだ人が偉いとか、パートや家事育児は正社員の仕事より価値が低いとか、ボランティアや福祉の仕事は収入が低くて当たり前とか、恐ろしく偏っていて、間違った考え方に支配されていたことに気が付いた。

私自身の生き方を、「暮らし」をないがしろにしていたじゃないか!

できないことを努力してできるようになることよりも、自分の得意なこと、好きなことを活かして、子どものため、家族のためじゃなくて、私のための生き方をしようと決めたのが、ようやく40歳を過ぎてから。そういえば、私の母も「家のために、子どものために」と働いてお金を貯めて、一緒に遊びに行くこともなく、自分の楽しみは何もなくて、49歳でがんで亡くなった。家もお金も子どもも「将来のために」と、自らの今の暮らしと自分の命を犠牲にしたようなものじゃないかと思った。

「暮らし」は未来にあるのではない。

「未来」はいつか来ると憧れるものではない。

一瞬一瞬の「今」ここにあるものが、大事な大事な「暮らし」なんだよ。

私が暮らしたい未来のまちは、田舎に移住したから叶えられるものではなくて、今、東京の住宅街にある、30坪にも満たない敷地のささやかな家で、日々を大事に送ることで形づくられる。今の私の内側にある願いや気持ちに丁寧に耳を傾けて、安全な食べ物を、きれいな水と空気を、美しく整えられた家を、思いやりのある言葉を、いつも求め続けることで、実現する。

私が暮らしたい未来のまちは、きれいな水と空気があって、豊かな土壌に草木が茂っていて、だれもがそれぞれに持っている才能を存分に発揮して、楽しみのために行う仕事が、他者の生活を満たすものになる。人は、自分が生きるのに必要なものを理解していて、過剰に他者から奪い取ったりすることなく、多く持っているものがあれば譲り、足りないものを与えられる。丁寧に愛情をこめて作られた食べ物や衣類、日常の道具があって、音楽や踊りや絵画、文学や誌がいつでも生み出されて、いつでも楽しめる。私の存在は、そのまちで暮らす全員と同じ価値があり、まちのひと全員が私自身のように大事な存在になる。

目に見えないもので人を不安や恐怖で操作して、つながりが分断されようとした2020年を経験して、私は便利さを捨てようと心に決めた。できるだけシンプルで、めんどくさくて、手間のかかる物事を大事にしよう。それは、食事の支度や、ゴミの分別、ご近所づきあい、仕事の手順など、いろんな場面で当てはまる。自らの手で時間をかけたものに「暮らし」の力がある。だから、やっぱり、なにかと不便な土地に引っ越したい。

2021年の夏に、安曇野の山林を譲ってくださる方とのご縁をいただいた。雑木林の原野だ。ここに「暮らし」を置くためには、土地をならすところから始める必要がある。できるだけ手間をかけて、できるだけ不便なところを活かしながら、ここを私の「未来のまち」にしていこうと、ワクワクするばかり。一緒にやろうと言ってくれる仲間がいる。生きるために必要なものは、すでにほとんど全部持っている。余白をつくるために、手放してゆく作業は、いつか来る「死」への準備にもつながってゆく。私の未来は、安曇野を通過した先にある。

近い未来には、子どもたちが家族を増やして、赤ちゃんを連れて遊びに来てくれるかもしれない。私の命は、私一人のものではないと実感するだろう。私の母、祖母、曾祖母、その先の幾世代もさかのぼるご先祖さまから受け継いだものを、少しずつ形を変えて、子どもへ、孫へ、ひ孫へ、その先の幾世代も先の「未来のまち」に暮らす子孫へ。人とのつながり、自然の恵みとのつながり、命のつながりを、安曇野の森の家で、伝える準備をしよう。

「私自身が何よりも大切な命の存在だ」と知り、地球上のすべての人がお互いを大事にする未来のまちで、私は暮らしたい。それは、今ここから。


#暮らしたい未来のまち

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