忘れられないこと #架空ヶ崎高校卒業文集
2075年
3年C組 湿木 潜
架校での生活を私は一生忘れません。
私は今年、30になります。人生のおよそ半分をこの学校で過ごしてきました。
15歳の初夏、虚像祭で私はウラヌスガスの取り扱いを誤り、大事故を起こしたのです。治療のため、私はほぼすべての臓器にメティウス細胞の移植を受けました。
略式学内裁判での盟神探湯の結果は懲役14年。14年間、虚像様に奉公するよう言われました。
この服役学園生活で特に忘れがたいのは、彼女、新乃木若芭さんのことです。7つ年下の中等部生だった彼女は、毎朝早くに登校しては、虚像様への奉公を手伝ってくれました。
皆さんはご存知ないでしょうが、虚像様は機嫌が悪いとこの学園を更地にしてしまうのです(最初の数年は失敗続きで何度も更地にされてしまいました。それを元に戻すよう懇願するのもまた役務でした)。
更地になるプレッシャーに押し潰されそうだった私にとって、若芭さんは救いでした。感謝の念は尽きません。
ですが、私は感謝を伝えらぬまま、彼女と別れることになりました。永遠に。
自発的活動を評価した生徒会により、彼女は虚像様の生贄に選ばれたのです。
深夜、彼女の家に白羽の矢を立てにゆくのは私の役目でした。
あの、心が張り裂けそうな感覚は忘れられません。
辛くて……別の家に矢を立てよう、とさえ思いました。ですがその時、家から若芭さんが出てきたのです。
「あれ? まさか脱獄……じゃないん、ですね」
だんだんと彼女の表情が暗い色彩を帯びてゆくのが見えました。それでも彼女は気丈に笑って、生贄となることを受け入れました。私は何もしないまま、その年の虚像祭を迎え、彼女を見送りました。
ウラヌスガス事故の後遺症で、私の余命は残り僅かです。けれど、私は生きています。未来あるはずだった若芭さんを見殺しにして。
どうして、何もしなかったのか。考えない日はありません。
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