「龍神橋にて」
これはまだ僕が、この街で暮らし始めて間もない頃の話だ。
当時の僕は新環境の生活に疲れていた。ストレスのせいか、食欲はわかないし眠ることもままならない。肉体の疲労はゆっくりと、しかし確実に精神を蝕んでいく。
――いっそ、ここから川にでも飛び込んでみようか。
気づけば、龍神橋の欄干に寄りかかって、そんなことを考えるようになっていた。当時の僕には寄りかかるべき相手など、龍神橋の欄干の他には何もなかったのだ。
ある日のことだった。いつものように龍神橋の欄干に寄りかかりに行くと、先客がいた。黒髪の美しい女の子だった。
彼女は僕が所在なさげに立っていることに気づくと、子首を傾げてこう言った。
「あなた、もしかしてここの人?」
ここ、というのが龍神橋を指しているのか、それともこの街を指しているのか、定かではなかったがとりあえず頷いておくことにした。
「それはごめんなさいね。実はわたし、ここで落とし物をしちゃって」
「落とし物?」
「髪留めなんだけど、大切なものなの。さっき橋を通りかかったら風に攫われてしまって。よかったら、一緒に探していただけないかしら」
突然だが、僕は自己肯定感の低い人間だ。
どこに行っても、何をやっても、自分に、ここにいる資格はあるのだろうかと問いかけてしまう。
誰かの役に立つのが好きなんじゃなくて、誰かの役に立っていないと、自分を許せないのだ。
だからその日、この街ではじめて人から頼られた僕は嬉しくって二つ返事で了承した。
けれど結局、その日は見つからなかったので翌日も翌々日も、僕と彼女は髪留めを探し続けた。
特別なことなんて何もない、平々凡々とした出来事ではあったけれど楽しかった。そのおかげでストレスが緩和されたのか、僕はその頃をさかいに、あまりイライラしなくなった。鬱っぽくもなくなった。
龍神橋は彼女に会いに行くための場所で、自殺願望をぶくぶくと泡立たせる場所ではなくなっていた。
街が、色鮮やかに見えた。
「あれ……?」
髪留めを探し始めてからちょうど1週間のその日、彼女は龍神橋に来なかった。
次の日も、その次の日も、彼女は現れない。
僕は一人で髪留めを探し続けた。
川底を調べ、街の人に話を聞き、とにかく必死になって探した。
「だめか……」
でも見つからない。彼女が来なくなってから、3日が経とうとしていた。
いつかのように龍神橋の欄干に寄りかかってため息をつく。
その時だった。
「あ?」
ガコン、と欄干が外れて僕は、橋の外に投げ出された。
――寄りかかりすぎたか?
そうではない、と僕の目が告げていた。
ほんの一瞬、火事場に発揮される馬鹿力がごとく、僕の目は極めて高い動体視力を発揮していた。
その目に映ったのは、橋の欄干の断面。まるで鋭利な刃物で切断したかのように滑らかなそれは、何者かが細工をしたのだという証拠にほかならない。
しかしそれが分かったとてなんになるのだろう?
僕が川に落ちる、その事実に変わりはない。
諦めることには慣れっこで、けれど僕の胸のうちには、諦めきれない思いが揺らめいていた。
――だけど、もう一度あの子に、会いたかったなぁ……。
「イヤーッ!!」
僕の思いに応えてのことだろうか、何者かの熱烈なシャウトが空気を震わせた! そして僕は気づく。亜音速で下方――すなわち川の中から飛び出してやってくる黒装束の存在に。
「ニンジャ!!??」
「イヤーッ!!!」
減速しかけたところで、空中二段ジャンプをしたニンジャはそのまま、僕の身体を抱きかかえて宙を舞う。
龍神橋の柱を絶妙なニンジャ調整力で蹴り、更に上へ。そして最後は僕の襟を片手で掴み、橋の上へと放り投げる! 一見雑に見えるこの行為でもそのニンジャ調整力は遺憾なく発揮されており、実際、僕の着地時のダメージは微々たるものだった。さすがのワザマエである。
橋の上に戻った僕は急いで橋下を見る。ニンジャが、川の中へと落ちていく寸前だった。
ニンジャは僕を見ると、面頬を取り外して、小さくこう言った。
「サヨナラ……」
ニンジャの、頭部に揺れる一房の黒髪。それを見た僕は事情を察し、彼女への別れを告げた。
注意
龍神橋では時折、ニンジャの抗争が水面下で行われています。
彼らもカタギの人間を無闇に巻き込みはしないはずですが、通行の際は注意が必要です。
――"THE EDGE OF RYUJIN BRIDGE" END.
これはなんですか?
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