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限界知らず?疲れているのに、疲れていることがわからないASD/ADHD。独自の価値観と判断基準。
この記事を読んでくれているあなたは、自分が疲れているかどうか、
わかるだろうか?
いや、疲れていることに気づかずに働きすぎてしまい、気づいたら動けなくなっていた、というようなことはないだろうか?
疲れの話をする前に、
ADHD,ASDなど 発達障害の人間が持つ、
独特な感覚について伝えておきたい。
発達障害人の価値観は、彼らが持つ「マイ ものさし」が決めている。
発達障害のひとは、自分のことを客観視するのが苦手だったりする。
すべての物事を推し量るものさし。
発達障害の人間は、自分なりのものさしが しっかり はっきり あって、
それを基準に世界の物を測っている。
「マイ ものさし」
定型発達の人は、自分のものさし 「マイ ものさし」とは 別に、
「一般的」
「常識的」
「客観的」
など、ほかのものさしももっていて、
状況によって、それを使い分けて物を測っている。
(しかもそれを、自然にやってのけている。)
いや~、うらやましい。
心理学で、よく「メタ認知」という用語が出てくる。
メタ認知とは、簡単に言ったら
「自分のことを客観的にとらえる力」
とでも言おうか。
発達障害人は、メタ認知が苦手、とよく言う。
私は、その理由を、
上記の
ものさし理論(※わたしが勝手に考察し、名付けたものです。)
で理解している。
つまり、
マイものさししか持っていない発達障害人は、
「自分はこう思う!」という基準がはっきりあって、
他の人がどう思うとか、
一般的にはどうだからとか、
そんなことは 最初はまったく念頭におかない。
すべての基準は、「マイ ものさし」。
つまり、自分の考えでは、こう。
自分の知っている知識と照らし合わせて、こうだから、こう。
すべては自分の価値基準で判断している。
社会で生きていく中で、だんだんと「常識」とか「一般的」とかの
ものさしもあることを経験的に理解はしてくるのだが、
自分独自の価値基準で判断しようとする傾向が、本来とても強い。
さらに、考えを曲げないし、というか、曲げられない。
これが、俗にいう「こだわり」というやつ。
他人から見て、明らかに「これってどうなのよ」
と思うことも、
「こうだから、こうなんだ!」という自分なりの道理が通っていればOKとなってしまう。
なので、定型発達人と、発達障害人は、話がかみ合わないことはよくある。
発達障害人は、相手の気持ちを考えているようで、
勝手に自分理論に当てはめて「こいつは、こう思っている」
そう思い込んで、実際とは全く違う予測を立てている場合もある。
話を聞くふりに全集中する発達障害グレーゾーン。
器用寄りの、発達障害グレーゾーンのひとは、
他の人の意見をきいているフリくらいはできるかもしれないけれど、
心の中では じつは全く受け入れようとしていない。
ASD傾向があった場合、
聞き流しに集中して、「はやく時間が過ぎればいいのに」と思ってみたり、
他人の意見を聞くのは時間の無駄だと思っていたりしている。
私はというと、
40年生きてくる中で、擬態の衣が厚ーーーくなっているので、
他人の意見を聞く気はゼロなくせに、
聞いているフリだけは余念なくしている。
けれど、やっぱり根っこがASDだから、
「どう相づちを打てば、最もらしく聞いている雰囲気が出るか」
という演技の方にすべての集中が行っていて、
相手の話はほぼ聞いていない。(申し訳ありません 笑)
もちろん、上記の反応は話題によるのだけれど。
興味のない事と、無駄だと判断したトピックに関しては、
一ミリもエネルギーを費やしたくないと思ってしまうのだ。
それを意図的にやっているとかではなく、
無意識で、時間にすればコンマ1秒。一瞬で、
脳が「好き、この話」 と思うか 「面倒くさい/利益なし」
とジャッジを下している。
つまらないことができないというのは、
長所にもつながる部分ではあるけれど、
コミュニケーションという場面でいえば、
やはり色々と難しさを抱えがちだよなぁ、と思う。
一方で、興味があることへのエネルギーの投じ方がまた極端にすごい。
普段興味のないことを適当にやり過ごしているぶん、
興味があることが出てきた途端に、
寝ること、食べることも忘れる勢いで全エネルギーを投入しだす。
疲れている、がわからない
発達障害人は、自分が疲れていることがわからない場合がある。
副産物として、すごいものを生み出すことがあるんだけれど。
魂を削った、創作というか、仕事というか。
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