涙の数だけ強くなれる
こんにちは。
ノートをはじめてみました。1年前までくらいはGoogleのブログで書いたのですが、今回からはこちらで書かせていただきます。
最近、随分と暖かくなってきましたね。桜の花びらが春風に乗って舞い落ちる季節です。空の青色と桜のピンク、その他の木々の緑色が混じり合い、綺麗で色鮮やかな景色がどこか切なく感じます。
そんな季節に僕は誕生日を迎えました。
21歳になりました。
21歳だって。信じられないです。つい最近20歳になったばかりなのに、もう21歳になってしまったか、という気持ちでいっぱいです。20歳を超えたら時の流れが早くなるとどこかで聞いたことがあります。本当にそうなんだなと、身をもって実感しました。
今年もありがたいことに色んな人からおめでとうを言ってもらいました。嬉しいです。
しかも誕生日当日の夜にはサークルの友達数名が家まで来てくれて、ケーキとコーラの大きい貯金箱の誕生日プレゼントまでくれました。本当にうれしかったです。みんなありがとう。いただいた言葉は胸に刻み、いただいたものは大切に使わせていただきます。
20歳の一年間は本当に色々ありました。
良いことも、悪いことも、です。
この一年間で様々な人と関わりました。学類の友達、サークルの先輩、サークルの後輩、バイト先の同僚、大学の先生方など、全部を挙げたらキリがないくらい多くの新しい縁を結ぶことができました。
色んな価値観に触れたことで物事に対する考え方や感じ方などが大きく変わった気がします。それが良い方向に変わったこともありますが、悪い方向に変わったこともなかったわけではありません。
良い方向に変わった例で言えば、優しさの形をたくさん知れたことだと思います。サークルの一番大きな大会の時に、大事なポジションを任されました。元々、目立つことをあまり好まない僕からしたらとんでもなく重すぎるプレッシャーでした。その期間中は色々あって、毎日がプレッシャーや孤独感、疎外感との戦いでした。
心も体も疲弊しきった中で迎えた本番は色々ありながらも無事に終わりました。最後の最後にミスをしてしまい、終わった後は過呼吸寸前になるまで号泣をしてしまいました。その時はミスしてしまった悔しさで泣いたと自分でも思っていましたが、今思えばプレッシャーから解放された安心感で泣いたんだと思います。
その期間中は自分がずっと思っていた優しさの形とはまた違った優しさの形を感じることができました。
人に分かりやすく伝わる優しさこそが本当の優しさだと思っていました。
でも実際は優しさというのはそんな簡単なことではありませんでした。心配の言葉をかけてくれることや、頑張ってという励ましの言葉をかけてくれることなどはもちろん、言葉こそ発さないけれど、傍にいてくれることや、傍にはいなくても遠くからそっと見守ることなどのどれもが全部、本当の優しさだと気づきました。
そう気づかせてくれたサークルの先輩方、同期と後輩たちには感謝しかないです。本当にありがとうございます。
たくさんの人の優しさに触れて、助けてもらった分、返すどころか迷惑ばかりかけてしまう自分に負い目を感じることが増えてしまいました。これは悪い方向に変わってしまった考え方ですね。やっぱり自分は人間関係を築くのが下手くそなのかもしれないです。
正直、今はマイナスのことしか考えられないです。不安が日に日に強くなり、立ち止まった自分を横目に、周りの期待だけが膨らんでいくことに対する焦りを感じてしまいます。
そのせいで最近は心の余裕がなくなってしまいました。心も体ももう限界のように感じます。心身ともに不安定なせいで周りの人たちには申し訳ないくらい心配も迷惑もかけてしまっていると思います。不安定だからって迷惑をかけていい理由にはならないです。でももう少しだけ時間をください。できるだけ早く元の自分に戻ります。
心の折れた音がして、ベッドの上で小さくくるまったあの夜。
声にならない叫びの吐き捨て場を求めて彷徨ってたあの夜。
墓の中まで持っていくと決めた秘密を打ち明けたあの夜。
本当の自分を受け入れられず、自分を否定し続けたあの夜。
ずっと好きで大切な人の幸せを願えなかったあの夜。
優しい母と姉に心配をかけてしまったあの夜。
今、全部が走馬灯のように頭の中で流れてました。高校生になってからあまり泣かなくなった僕ですが、この1年で一生分の涙を流したのかというほどたくさん泣きました。正直なところ、人生でいちばん辛い1年間でした。
この1年で流した涙の分だけ、21歳は今までの人生でいちばん幸せな一年にします。とりあえず目標は生き延びることです。来年、21歳楽しかった!と胸を張って言いたいですね。
21歳の抱負は無理せず、自分らしく生きること、それだけです。
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