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やりたいことやる、スキナコト続ける

私はずっと読者としてのnote愛好家で
つい最近
結構な逡巡の末
恥ずかしげもなく駄文を投稿し始めた

私が「スキ」するのは
その時の私が「そう、ここ、この感じ」
って、一種ひと目(読み?)惚れしたもの
わりと躊躇無く「スキ」してしまう
そして、そのwriterさんの
他の記事を続けて読んでみる
「うん、分かり過ぎ」
「わっ、賢くなれそう」
「なぬっ、知らん? 調べねば!」
「ややっ、難し過ぎるが、解りたい」
「そんな毎日って、ちょっと不思議ね」
或いは 「素敵ね」
「わからんけど、クセになる」
その時々の感じ方はイロイロ
私は衝動的な臆病者であるから
このwriterさんに
また会えるとは限らない、と思うと
フォローせずにはいられない
ってな訳で
短期間にフォローがいっぱい

気がついたのは
私がフォローしている方々の共通点
もしかしたら
多くのnote writerさんにも通じる?
noteっていう媒体の根っこなのかな?

やりたいこと
スキなこと
責任の伴う意識を持ち続けていること
暮らしの中の瑕疵も認めつつ
切ないことやウンザリなことにも
自身で対処する
生に伴う猥雑さコミで面白がる?
とても真摯に
日々の暮らしやお仕事に向き合って清々しい方もいらっしゃる

他所の誰かの人となりなんか
髪の毛一筋だって
ちょっとやそっとでも分かりはしない
noteの記事が興味深いからといって
私が「スキ」「フォロー」してる方々の
「ホントのとこ」は
当然だけど知る由もない訳で
「知ったふうなコト」言いたくない
言えるとは毛頭思わない

それでも
「フォロー」している方の記事が
途絶えると気になる
変わらない筆致が再開すると
「また、読も」ってチョット嬉しい
それぞれの軽妙や辛辣や難解や
オベンキョー(私のための·····)やら
見ず知らずの誰かの
やりたいことやスキナコト
やり続けるコト、ご立腹や苛立ちにも
日常の中で相見えることができるって
この上ない新鮮さだ

何にしても
今のところ私のnoteは終わらない






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