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ケンサクが止まらない
先日
私は「こだわり」がないつもりで
雑文をかいてしまったけれど
その後、さほど強い気持ちでも無いが
これはという「重箱の隅」がありすぎる
自分がいることに気がついた
他人様には笑われそうな
まさしく拘泥なのだが·····
名詞等、短縮された言葉が気になる
というか分からないことがある
いつもいつも殊更に引っ掛かり
自分では使わないようにしてしまう
余所様が短縮言葉を用いるについては
この分に非ず、ではあるし
言葉遣いに言及したくはないのだ
とはいえ、見聞きする私には
理解の外の事多くシバシバ戸惑う
家人が
数十年前に聴いていたバンド名など
その気になって短縮して私が言うか?
って
大人過ぎる私はやや気恥ずかしい
斯くして
些末な拘泥から脱却できない私は
数々のコトバをできる限り正確にと
腐心するあまり辿辿しく口にし
時に言い間違いもあり
自ら面倒を引き寄せている
さて私の検索が止まらないのは何故?
家人は初老お仕事男子であり
私ほど世事に疎くないはず·····である
仕入れた「何、これ?」の案件について
頻繁に解説お願いしまくる私は
まあまあモノズキと思われているから
家人は時として(かなりの割合)
付き合いきれんバリアを張ってしまう
そして、私が縋るのはケンサク君!
バケハが意味不明で検索したら
なんのこっちゃバケットハットかーい
( - - `)
直近でエアプってのも検索した
エアプレイってさぁ、短縮必要か?
昔もあったから、しようがないかもね
レスカ、サテン、ダンパ·····って死語さ合コンは違う感じで生きてるのかな?
他のサークルとか研究室と一緒に
飲み会をする、合同コンパ=合コン·····
今は違う使い方に思えるが
もはや、これも死語でしょうね?
短縮語が世間を席巻している\( ¯_¯ )/笑
と、感じている昨今である
noteを読んでいると
違う世界に来ちゃった、か?
って感じる言葉に出会すこと多し
日常的に他者との交流が皆無に等しい
「昭和のコトバで生きてます」状態の私
自らセッセと検索します
(多分、バケハは家人のテリトリー外…)
私には解らないことアッチニコッチニ
検索から検索への数珠繋ぎも一興です
昔、辞書引いたら
アレからコレって進んで行く感じ·····
一番戸惑うのは
漫画、アニメ、ゲームのタイトルや
今日ただいま流行りモン界隈は
短く詰めてるのが当然って感じ
通じない奴なんて問答無用って感じ
しかし私はオトナであるから諦めない
おそらくは孫ほどの若人のnoteを解読
面白そうな作品には立ち寄ってみる
その先、ハマる可能性だってあるし
それは儲けものと思う
覚えては忘れながら日が暮れるけどね
五十路を前に老眼で遠視で乱視
両目の視力の差が大きくて
ピントが合わせにくい
数年前、加齢による難聴と診断され
補聴器を購入するも
甚だしい生活音に辟易し
使用を怠っている
その上
世の中のコトバが意味不明になったら
私は三猿と化して暮らすだけだもの
今年は硬くなった肩の腱に引っ張られ
骨が削れて肩が上がらなり
ムカシほど外界活動に勤しめ無い
不如意、不本意·····が多くなっている
押し寄せる老化は如何ともし難いが
ひきこもりの折々に
独りカフェランチを戴き
美術館に行き街を徘徊する
snsやら配信やら
内容オソマツ承知の上でテレビも視聴
私は今の世をヨタヨタと楽しみ
時としてワクワクドキドキが手に入る
とりあえず羅針盤としてのnote
頁を捲ってケンサクしつつ
イマを読んでいるつもりでいる