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「そのオコダワリ」が羨ましい

「そのおこだわり私にもくれよ」という
「こだわり」がレアな方々を追いかける
フェイクドキュメンタリードラマを
何年か前に観まして
松岡茉優氏と伊藤沙莉氏バディでした
「ひよっこ」の後、配信で観たので
ブレイク前だったけど伊藤氏のことは
「なかなか良い感じ」と認識していた
松岡氏は「あまちゃん」の深谷ねぎ娘で
認識済
その前には「北区赤羽」っていう
今より人当たりの悪い山田孝之氏の
ドキュメンタリーっぽいのも観た
更に「giver 復讐の贈与者」を観てからの
吉沢亮氏推しでもあるが
推し活的振る舞いは全く伴わず
Instagramにてお写真拝見するのみ·····
エセ推しと言わば言え!(所謂、逆ギレ)

テレビ東京の深夜枠、観てたんだな

って、いい加減な書き出しが長過ぎる
「こだわり」のこと書こうかな···って
思い立って惹句替りに書いてみました

「こだわり」をあからさまにするって
恥ずかしいのでは無かろうか?
まして過剰な「こだわり」って見苦しい
「こだわり」?だから何?鬱陶しい!
とさえ私は思っていた
しかし、それは間違いかも知れない

「拘泥」は褒められたことではないが
「こだわり」は何か素敵なヒビキである
とりわけ「大人のこだわり」って
美しく齢を重ねたアカツキには
辿り着きたいかも知れない領域でしょ
食べ物やその頂き方、持ち物、住まい
余暇の過ごし方等々
引っ括めて在り様(よう)、生き様(よう)
「丁寧さ」や「さりげなさ」に
そこはかとなく「こだわり」を鏤めて、
って
それもまた年季入った自己演出か?
旋毛曲がり、臍曲がり、
ひねくれ者ゆえ
面倒くてセコい考え方してしまう

しかしながら「キチンと生きる」を
土台や根っこにしている「こだわり」は
一朝一夕に成り立たないのは分かる

「こだわらない」ことに「こだわる」の
ちょっと良くない?
そう思って過して来たけど
負け惜しみみたくなってしまう
「こだわり」抜いてこその是空の境地
欲得を葛藤した先の虚心坦懐があって人となりが形成されるって気がする

味わいのある
フンワリした佇まいの老人になれる
のでは·····アコガレですな

もはや遅きに失してしまったので
「そのオコダワリ」
羨ましいことこの上も無いと嘆息する





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