「思い出」しか書くことが無くなっちまったのか、私って !?
先日、書いたことなのだけれど
「思い出さないと決めている」箱の
中身は無かったことにはできないのだ
姑息ではあるが見なかったことにして
今のところはやりすごそう
という訳で
よい塩梅にボンヤリ靄った昔の日々を
書くことにした
プロテスタント系の女学校を出た母は
その繋がりで
YWCAの活動に参加することがあり
幼い私もついて行った
キリスト教イベントのバザーが多く
飾り付けも綺麗でちょっとハイカラ
お手製のクッキーなど振舞われ
その頃としては珍しい児童書も有って
行くたびに楽しく過ごした
幼稚園の前後の年頃
「キンダーブック」と「よいこのくに」が母が私に用意してくれた本だ
時には字のある本も買ってくれたり·····
どちらがどちらかは覚えていないが
幼稚園とYWCAが
それぞれ斡旋していたと思う
その頃は名前も知らなかったけれど
初山滋や武井武雄の挿し絵があり
想像が湧き出る純度の高い絵本だった
名前がひらがなの「いわさきちひろ」は
私でも読めたので嬉しかった
その絵の世界は
暖かくゆったりした空間で
柔らかな気持ちになりずっと観ていた
どの画家の絵も素敵なのだけれど
とりわけ初山滋がお気に入り·····
アーノルド・ラングの
色の名前の童話集の中の
「シンドバッドの冒険」の挿し絵も
初山滋で、こどもの眼にも
エキゾチックでファンタジックで
心が躍るような感じがある
「よいこのくに」の表紙は
布貼り絵のような見た目だったと
記憶している
アップリケだったかも知れない·····
毎号とても楽しみで
幾つも真似て作ってみた
母は引っ込み思案で静かな人だった
女学校のあと洋裁学校に入り
洋装店にもお勤めしていたと知り
母の自信無さげで内気な部分しか
見えていなかった私は少し驚いた
知人の服も喜んで縫ってあげて
心からお裁縫が好きで楽しむ人だった
母は凝り性で
デザイン性の高い服も引き受け
クオリティはなかなかのモノだったが
母の控え目過ぎが災いして
手間賃は全く割に合わなかったと思う
本当に母の洋裁のウデは確かだった
縫製を仕事としてきた人で
クジラ尺も普通に使っていたし
玄人裸足というのも合ってないけど·····
パターンを起こすところから
丁寧で手抜きをせず
仮縫いもそれはそれはキッチリで
縫製はしっかりとしている
私の服は高校の制服まで全て
母が作りあげたものだった
という訳でウチには端裂が結構あり
カール人形はたいそう衣装持ちだった
材料を選び迷って作った私の貼り絵は
どれもケッサクって気がしたものだ
私はといえば
何一つも技術を研鑽することなく
いきあたりばったりの我流で
描いたり縫ったり編んだりしてきた
母のような丁寧な仕事とは雲泥である
こどもの頃の布貼り絵の楽しさで
面白がり続けたまま作りたい気分屋だ
しかし当然だけれど
職人の手になる物が内包する気配は
無二であり
私のペラッペラな憧憬なんか
木っ端微塵に吹っ飛んでしまう
私の拙い針目や無造作は
丁寧に遊んだ結果だとしても
何だか痛々しい出來なのである
私はゴチャついて輪郭の無い時間を
なーんとなく揺蕩ってきた
修練も鍛錬も必死も渾身も縁が無い
パートタイムを彷徨いたりしながら
イマ私が在る
それでも今でも
キマリの無い遊びのように作りたい
浅薄な私のまま作ったり壊したり·····
書き終えたら
タイトルとズレてるな·····
トリトメ無さすぎ·····
そんな気が·····する·····けど
内なる睡魔がユルサナイ·····ので·····
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