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「心の鎖国」にひっかかる

Makoto Okada氏の「心の鎖国~」を
拝読した
大ムカシ読んだ白洲正子氏の記事
(タイトル画像、新聞の切り抜きっす)
タイトルが似ていたからですが
読んでみたら似ていたのは
「鎖国」の部分です
白洲正子氏は骨董(ホンモノ)について
お話されていたのでした

とはいえ、朝5時に目が覚め
二度寝を諦めた私の気持ちに
Okada氏の記事が寄り添ってくれたと、勝手に思ったのは事実
読んでいると落ち着いてきて
さあコーヒー、となり読み返したら
やっぱり一息つける記事でした

「心の鎖国」
私がやってきていることだった
ザンネン!ながら
私の場合は意図的では無いのだよ
アレコレ身体的に停滞して
「よる年波」の挙句ゆえ
主体性無く「鎖国」せざるを得ない
見えにくい、聞こえにくい
動きにくい、納得不可、理解不能、etc
しかしながら、読んでいる内に
私の「鎖国」はいま始まった訳では無いと思い及んだ
(以前から、分かってたことではある)

私ってずーっと「鎖国状態」だったんだ
私は子どもの頃から
「少し変わってるけどいい人だよね」
という感じで生きてきた

オトナになりお母さんになり
PTAは子ども二人分8、9年やりました
ママ友一品持ち寄りお茶会
ママ友ヌーベルキュイジーヌランチ会図書館ボランティア
美術館ボランティア
自立支援ボランティア

タッパウェアホームパーティ
洗剤のパーティ
お化粧品のパーティ等々
仏頂面なりのお愛想で
誘われるまま参加しましたが
購買者にはならず·····なれず·····
バカバカしい笑うようなことだけど
出る杭になれない私は見てくれ保護色
中身は「鎖国」で永らえた

ムカシの私を知ってる人達は
たぶん絶対に信じないと思うけどね

「辛辣で皮肉屋だけどナカヨクなったらすっごく面白い人」
それがかなり嘘ついてる私でした

それなりに楽しみましたし
いわゆる承認欲求も満たせました
だけど、なんだろうなぁ
私が駄目なヒトなんだとしか思えない
いっつもチョット違う場所にいる
他の人たちも多少違和感あったのかな
みんな少しムリしていたんだろうか?

その頃「ナカヨク」していた人達とは
今はご近所でもなくなって疎遠

学生時代からの友人は50歳過ぎに
2ヶ月足らずの闘病で逝ってしまった
本当に良い子だったから
神様にアイされちゃったのかな
懐かしく愛おしい、彼女に会いたい
足が棒になるまで歩いて喋って·····
二人ともおばあさんになった今なら
いっぱい出来るのだけどね

「心の鎖国」の記事から
我が身を省みることになった次第です
noteって何気に立ち寄ったら
何かしらに出会っちゃうからステキ!

私の勝手気ままな書き放題に
間違って引っ掛かった方々、お許しを







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