雷電神社
臨江閣から北に向かい10分程北の群馬県前橋市平和町1に鎮座する雷電神社を掲載します。
前橋を訪れた目的は前橋東照宮参拝と焼きまんじゅうを食べてみようという事で訪れた。
原嶋屋で饅頭の焼きあがりを待つかみさんと別れ、少し路地に入った先で見かけた雷電神社に参拝する事にした。
原嶋屋のある平和町1丁目交差点から東に1分程歩いた左に雷電神社は鎮座地します。
雷電神社は馴染みがなく、G先生に聞いて見ると、愛知県内では田原町に一社祀られているだけのようですが、関東一円では広く祀られているようで群馬県邑楽郡板倉町の雷電神社を総本山にするようです。
ここ平和町は1965年にかつての向町他3町が合併し平和町となった。
上は明治40年(1907)とほゞ現在の前橋周辺、赤のマーカーが鎮座地。
利根川両岸の低地に水田が広がり、住居は前橋台地に集まっていることが分かります。
北関東一帯は地形の関係から、今も昔も雷が多く発生する土地柄。
雷は農家にとって雨をもたらす嬉しい側面と、落雷という怖い側面を持っている。
そうしたことから総本山雷電神社を崇める雷電講が生まれ、本社から勧請された雷電神社が各地に祀られていったようで、規模を問わず300社を上回る社が祀られているそうです。
平和町の雷電神社もその一つ。
雷電神社社頭全景。
やや南西向きに社頭を構え、一対の常夜灯と右手に「村社 雷電神社」の社号標がある。
境内は石畳の参道が拝殿に伸びており、境内のほゞ全面が月極駐車場になっていました。
ここに参拝者用の駐車区域があるかは未確認。
社号標。
村社と彫られ、更に埋められている事から自ずと見えてくるが寄進年度は見忘れました。
雷電と聞くと戦闘機や力士の姿を思い浮かべますが、総本山雷電神社の祭神「火雷大神・大雷大神・別雷大神」が祀られているものと思われますが、これら全てをお祀りしているのかどうかは定かではない。
何分にも境内に由緒が見当たらず詳細は分からない。
社頭の常夜灯。
竿には大正4年(1915)寄進と彫られています。
参道の先の鳥居は大正4年(1915)に寄進された石造の素木鳥居で手前に常夜灯一対がある。
境内は駐車場の他に左に手水舎、平和町公民館と拝殿左横に平和町の山車の保管庫があります。
手水舎。
鉢や常夜灯の火袋に彫られている紋は九曜巴紋。
拝殿正面全景、手前に檻に入れられた狛犬一対。
境内の樹々はスッキリと剪定され手入れの良さが窺われる。
この一帯では今も雷除けの雷電さまとして親しまれているようだ。
狛犬(1914)寄進)。
小さいながら余程の暴れ者なんだろう、こうして檻に入れられている。
拝殿の鈴と額。
社殿の斜景全景。
拝殿は木造銅葺屋根の入母屋造りの平入で一間の向拝が付く。
拝殿後方から渡廊があり本殿に繋がっており、本殿の左右に境内社が祀られています。
玉垣で囲われた本殿域には銅葺屋根の一間社流造の本殿。
両脇に彫りが施された脇障子を持つ、棟には三つ葉葵らしき紋が入っているが、アップを撮り忘れ定かなところはよく分からない。
本殿の右の境内社。
左は三峰社で右が稲荷社。
稲荷社の本殿全景。
唐破風の下に社名に繋がる文字が刻まれているが、拡大しても読み取れず、社名は定かではない。
左の社は台座に埋められた石板に「三峯講中」とあり、大正13年(1924)寄進とある。
三峰社。
前橋の南に聳える秩父山系に鎮座する三峰神社を崇敬する信者により祀られたもの。
大正時代といえども、三峰神社や雷電神社に参拝するには、今のように交通網が整備されていないので、代表が参拝しお札を頂く講が生まれ、御札から祭神を勧請し地元に祀られるようになります。
本殿側面。
後方には大きなイチョウの樹が聳え、黄葉ともなればさぞかし綺麗だろう。
本殿左に脇参道があり、その脇に写真の猿田彦大神が祀られています。
境内にはイチョウの他にも桜が植えられており、四季折々の神社の趣を楽しめるようです。
かみさんが原嶋屋でテイクアウトしてきてくれた焼きまんじゅう。
原嶋屋総本家
所在地 / 群馬県前橋市平和町2-5-20
境内のベンチで焼きたてを頬張る。
饅頭をイメージしていましたが、扁平みたらし団子的な見た目で、甘じょっばい味噌ダレで素朴で美味しいものでした。
雷電神社
創建 / 明治11年(1878)、同34年現在地に遷座
祭神 / 火雷大神・大雷大神・別雷大神
境内社 / 稲荷社、三峯社、猿田彦大神
所在地 / 群馬県前橋市平和町1-8-1
参拝日 / 2023/05/11
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