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八幡奈多(なだ)宮
八幡奈多(なだ)宮
鍋山摩崖仏から県道34号線を約40分程東に進み、伊予灘に面した奈多海岸に向かいます。
大分県滞在最終日の最後の訪問地は、奈多海岸に社頭を構える八幡奈多宮です。
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海岸沿いに続く車道を進むと左手に石灯籠、前方に朱色の神幸橋が見えてくれば、八幡奈多(なだ)宮も近い。
神幸橋は車の通行が制限されています、右手の道を進み川を越えた左側に無料駐車場があります。
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この辺りの松林の切れ目からは目の前に伊予灘の眺望が広がっています。
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上の写真は海岸に立つ石灯籠です。
燈籠の石の表面は海風で風化し、ぼろぼろの状態となっています。
右の燈籠の竿には享和(1801~1804)の元号が見られますが、年月は良く読み取れません。
この石灯籠は200年以上もこの海岸に立ち続け、その風化の進み具合が神社の歴史を物語っています。
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上
車を駐車場に停め歩いて神幸橋を渡る。
下
写真は橋の手前にある礎石で、左右にそれぞれ存在しています。
これはかつての橋の名残でしょうか。
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神社に続く参道は奈多海岸遊歩道の一部でもあり、海岸沿いにこうした遊歩道が伸びています。
約6km近く続く海岸線は、南北約3kmにわたって見事な枝ぶりのクロマツの並木が続くそうで、日本の白砂青松100選に選定された風光明媚な海岸です。
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この海岸には奈多海水浴場と狩宿海水浴場の二つの海水浴場が隣接しており、夏場には賑わいを見せるのだろう。
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遊歩道を進むと正面に鳥居が現れます。
右の松林の中に見えるのが八幡奈多(なだ)宮の社殿となります。
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石の明神鳥居に掛けられた「奈多神社」扁額。
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参道を進むと左の砂浜から松林の奥に建つ楼門へ続く主参道が横切っています。
そこから主参道を左に進むと、豊後水道を望む美しい砂浜が広がり、少し沖に岩礁が見えます。
主参道を右に進むと松林の奥に建つ楼門に続いています。
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この岩礁は「市杵島」と呼ばれ、その名から分かるように遥か昔、この岩礁に市杵島比売神が降臨したという伝説の伝わる「島」で、八幡奈多宮にとって神聖な場所とされています。
訪れた時には写真のように何の変哲もない岩礁帯にしか見えません。
しかし、以前はこの岩礁に朱の鳥居が立っていました。
2020年9月6日この地を通過した台風10号により八幡奈多宮の朱の鳥居が倒壊し現在の姿になってしまったようです。
八幡奈多宮を大分最後の訪問地としたのも、伊予灘を背景に夕陽に照らされた鳥居の姿を拝みたくて訪れました。
しかし、よもや市杵島の鳥居が倒壊していたことは知る由もなく、鳥居のない市杵島の姿は多少悔いが残ります。
しかし、現在クラウドファンディングを募り、鳥居を再建し以前の神々しい姿を取り戻すべく活動が進んでいます。
※2022年11月新たな鳥居が市杵島に再建されたそうで、今は思えばこの光景はレアな絵なのかもしれない。
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海辺から楼門に続く主参道の眺め。
目の前の楼門に続く参道には三つの明神鳥居があり、倒壊した鳥居を一ノ鳥居とするならば楼門までは四ノ鳥居を構える事になります。
各鳥居にはそれぞれ狛犬が守護しています。
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手前のニノ鳥居扁額は「奈多宮」
鳥居も狛犬も寄進され間もないのか白く綺麗なものです。
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ニノ鳥居の狛犬。
平成14年(2002)に寄進された狛犬。
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その先の石灯籠。
竿から下の基礎は四つの足が付いたもので普段身近な神社でお目にかからないもの。
細かな蓮弁装飾が彫られており、寄進年は読み取れなかったが、かなり以前に寄進されたもののようです。
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参道からニノ鳥居と市杵島の眺め。
一ノ鳥居の姿は…ない。
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三ノ鳥居と楼門方向の眺め。
こちらの鳥居や狛犬はニノ鳥居に比較すると寄進された時期は少し古そうです。
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三ノ鳥居で参道を守護する昭和2年に寄進された狛犬。
小さな体格に不釣り合いとも思える大きな玉に身を委ねた可愛い姿をしているが、しっかりと鋭い牙を持つ。
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三ノ鳥居から先の参道。
左に手水舎、正面に四ノ鳥居と楼門。
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鉢には絶えることなく清水が注がれていた。
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四ノ鳥居と楼門。
参道の鳥居の中では一番古く寄進されたものだろう、笠木の反りも強く、石の額は「八幡奈多」とある。
その先の楼門は市指定文化財で寛永19年(1642)に長岡興長の寄進によるもの。
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奈多宮の楼門に架けられた額には、「弎〇〇伕」という文字が刻まれています。
この文字は「三韓降伏」と読むのだろう。
古事記や日本書紀には、夫の仲哀天皇が成し遂げなかったとされる「三韓征伐」を、神功皇后が成し遂げたという伝承がありますが、この額はその伝承を伝えるものなのかもしれません。
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楼門左にある奈多宮由緒、内容は以下。
【御祭神】
第一神座 比売大神、第二神座 応神天皇、第三神座 神功皇后。
【比売大神発祥の地】
・「比売大神は先に国前群奈多沖にある市杵島に示現される」(宇佐八幡御託宣集)
故に古来市杵島は比売大神発祥の霊地として祀られ崇敬されている
【応神天皇御滞在の地】
・称徳天皇天平神護元年(765)、応神天皇は伊予国宇和郡より奈多の浜に御着岸、御滞在の上、ここより宇佐の地に向かわれた。
【奈多宮創祀】
・聖武天皇の神亀2年(725)宇佐宮が現在の小椋山に創建され、その5年後の天平元年(729)に奈多宮が祀られる。初代大宮司は宇佐宿称公基公本宮の創祀である。
【日本最上八幡初中後廟】
・永延2年(987)、一条天皇より初中後にわたり最上八幡であると叡感ましまして、「日本最上八幡初中後廟」十字の額を賜る。
【宇佐行幸会】
・称徳天皇天平神護元年(765)、託宣により壮大な「宇佐行幸会」が創る。
勅使が下り、恩赦が行われる国家的行事であった。
宇佐宮に於て新しい御神体が奉造されると、旧御神体が比売大神を元宮とする奈多宮に還幸される行幸をいう。
【神場行幸会】
・卯・酉年、6年に一度、住吉の神場に行幸する。
【戦国時代の奈多氏】
・奈多鑑基の娘は、大友宗麟の正妻となる。
鑑基は大友家の寺社奉行として重きを成す。
その子、田原紹忍は宗麟の福臣参謀として活躍する。
以上の如く古来皇室、藤原氏の尊崇厚く、繭来、細川、小笠原、松平各藩主に至る迄代々崇敬篤く、広く世人の敬神の念を集めている。明治5年(1872)県社に列せられる。
祭日
1月元旦 歳旦祭
2月11日 建国祭
4月5日 例祭(神幸祭)
6月30日 大祓
8月7日 夏越祭(御船替)
10月15日 放生会(中秋祭)
11月15日 七五三祭
11月23日 新嘗祭
12月31日 年越祭」
元宮とされる市杵島。
由緒には「比売大神は国前群奈多沖にある市杵島に示現される(宇佐八幡御託宣集)、故に古来市杵島は比売大神発祥の霊地として祀られ崇敬されている」とあります。
比売大神は、素戔鳴尊と天照大神の誓約により素戔鳴尊から生まれた市杵嶋姫命、多岐津姫命・多紀理姫命の宗像三女神とされ、その降臨地が奈多海岸の沖合約300㍍にある市杵島の岩礁だと言われ、その霊地には小鳥居が建てられ、古来から元宮とされ尊崇されてきました。
訪れた際はまだ鳥居は再建されておらず聖域の趣は感じられなかったが、今頃は朱の明神鳥居が立ち
朝な夕なには神秘的な光景が見られることだろう。
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楼門から眺める社殿。
こうして見る社殿は文禄5年(1596)に発生した慶長豊後地震の津波で流失し、一時期は仮宮として存続し、寛永4年(1627)、杵築城城代の長岡興長により伽藍の再建が行われ、寛永19年(1642)楼門、鳥居、手水鉢などが建立されました。
その後明治14年(1881)に本殿、拝殿、廻廊など修復の手が入れられたものが現在の姿のようです。
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社殿は八幡造とされ、拝殿には左右の廻廊が接し、後方の幣殿、本殿の姿は廻廊が視界を遮り見通す事は出来ませんでした。
比売大神、神功皇后の女神を祀る事から縁結びなどの御神徳があるようです。
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拝殿と廻廊、写真では切れていますが右側に社務所が立っています。
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拝殿から左の境内、左手の建物は宝物庫になります。
この宝物庫の左から後方にかけて石碑や境内社が祀られています。
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上は境内左の忠魂碑。
下は昭和25年(1950)に奉納された田道間守公像が祀まつられています。
垂仁天皇の御代に勅を奉じ、橘を求めて大陸に渡り、10年以上かけて橘を持ち帰った事から橘の始祖と称されるようです。
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宝物庫後方の境内社。
古びた石の明神鳥居が二基立っており、玉垣沿いに多くの石で作られた境内社が祀られています。
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右手の妙見宮の額が付く鳥居の先に祀られている石の社は「妙見社」、創建等の詳細は不明。
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もう一つの鳥居には額もなく詳細は分かりません。
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写真上段右は左から毘沙門天社、大日社、社日社。
左は中央が恵比寿社、左右の社は不明。
下段右は左から稲荷社、諏訪社、八坂社。
左は奥から荒神社、山下社、弁天社。
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境内社から前方を眺めると本殿域に繋がる四脚の門が見えます。
境内を出て表から眺めて見ます。
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楼門を出て右方向に向かいます。
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上
玉垣の外から宝物庫と門の眺め。
下
この付近で見かけた石積みの一画、以前は神馬が安置されていたのだろうか。
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境内から見えていた門の全景、手前には狛犬が守護する。
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鬣がしっかり彫られ表現された狛犬、寄進年は不明。
阿形の頭部が一部欠落し表情が読み取れない、この痛々しい姿は何があったのかねえ。
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門の左手の松林の中に鎮座する祖霊社。
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上
祖霊社から遊歩道を更に進むとそこにも写真の鳥居。
当日は祭礼かイベントの前準備でも行われていたのか、海岸の松林には白い布があちらこちらに吊るされていた。
下
…松林の西外れにも鳥居があるようだ、社殿の割には大きな神域を持っているようです。
海岸沿いの長大な松並みは地元から愛され、松林の維持、保全活動が積極的に行われているようで、松ぼっくりや下草取り、清掃活動も盛んに行われているようです。
松の株一本一本にタグが付けられ、松くい虫の駆除薬や成長度合いなど個別にモニタリングされているようです。
目の前が海水浴場という事もあり、この松並みはいい木陰を提供してくれる事だろう。
夕焼けの迫る伊予灘に面した綺麗な砂浜、ここまで来ると大分空港も目と鼻の先。
大分県の一之宮を巡る楽しい三日間の旅も間もなく終わり。
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夕陽に染まる市杵島と朱の鳥居は見られなかったが、ここから大分空港に向かい、時間通り大分を飛び立ち、大分県の一之宮巡りは順調に終えられそうに思えたが、ここから少し歯車が噛み合わなくなっていたようです。
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時間通りにセントレアに降りたつも、接続する電車は事故で運転見合わせ、シャトルバスもコロナ禍で運休。
空港は人で溢れ、バスの代替輸送もない、脆弱な空港だ、セントレアは孤島となった。
ジタバタせずビールを飲みながら再開を待つのみ、なんと家路の遠い事。
八幡奈多(なだ)宮
創建 / 神亀6年(729)
祭神 / 比売大神、応神天皇、神功皇后
境内社 / 妙見社、毘沙門天社、大日社、社日社、恵比寿社、稲荷社、諏訪社、八坂社、荒神社、山下社、弁天社、祖霊社。
所在地 / 大分県杵築市大字奈多229
参拝日 / 2022/10/28
鍋山摩崖仏から八幡奈多宮 / 県道34号線、国道213号線経由35分
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